トロフィーハンティング
巨大な生物や珍しい生き物を狩って記念撮影したり、その剥製をインテリアとして飾るトロフィーハンティングは動物愛護活動が盛んになった半世紀ほど前から徐々に批判されるようになってきて、今では反感を持つ人の方が多くなっている。1977年に連載が開始されたマンガ銀河鉄道999で主人公鉄郎の母が機械伯爵にトロフィーハンティングされた残虐な描写もこうした時代の流れに沿うものだと言える。それより前の世界ではスポーツや娯楽としての狩猟の存在は自然なことだった。
狩猟を害獣狩りや食料の調達ではなく、あくまでもスポーツやレジャーとして楽しむ人達も古くからいた。有史以前からあったとされる鷹狩りも当初は狩猟目的で開発された技術だったと思われるが、中世以後は娯楽色が強くなっていった。近代では狐を馬で追い回して猟犬に食い殺させるイギリスの狐狩りも軍事訓練を兼ねた娯楽であった。日本武士の騎射の訓練とスポーツをあわせた犬追物では特殊な矢を使うことで犬は射殺されることは無かったものの、これは動物愛護精神というよりは犬の再利用という現実的な利便性による面も大きかったと思われ、現代のバス釣りおけるキャッチ・アンド・リリースに通じるものがある。たまには死ぬけど概ね殺さない程度に動物を痛めつけるのは動物愛護的で優しいということにはならないだろう。なお、日本ではブラックバスは特定外来生物に指定されてはいるものの、これが禁止するのは飼養や運搬や保管や輸入であり、キャッチ・アンド・リリース自体は一部の自治体によってのみ制限されている。
こう言うと通常の釣りでの魚拓や記念撮影はどうなんだという指摘もある。確かに昔から大魚を釣った時は魚拓を取ったりもしていたが、これは結局は食すので、生活に必要な範囲での漁でたまたま大物を捕ったのを記念に記録しただけであり、バス釣りのようにスポーツだった訳ではない。大物を釣った時の記念撮影も魚拓と同様にトロフィーハンティングだとして批判される必要はない。だが、そうは言っても一部ヴィーガンなどの動物愛護過激派からは苦情も出るだろう。もっとも魚類に関してはトロフィーハンティングとして批判される事は少なく、主な批判対象はやはり感情移入しやすい哺乳類が狩られた場合だ。
こうしたトロフィーハンティングへの批判は、時代による動物愛護精神の隆興により出てきたものだ。だが歴史的には、狩猟技術の優れた者が珍しい動物だったり大量の獲物を狩る事に、世間が称賛をしていた時代の方が長かった訳で、今なおそのような価値観を持っている人も多い。そんな人達にトロフィーハンティングの批判をしても恐らく話は噛み合うまい。今でも時々、獲物と一緒に記念撮影した写真をSNSにあげて炎上するハンターが後を絶たないが、これは写真をアップロードした当人は全く悪いと思っていないからでもある。彼らから見たらおかしいのは世間の方だ。
なんにしても現地の法に触れない範囲でトロフィーハンティングをしても罰せられる事はなく、今後もトロフィーハンティングをするハンターと世間のいざこざは続くことだろう。
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