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浄土真宗本願寺派の不祥事

 このところ浄土真宗本願寺派の不祥事が目立つ。全国の幼稚園の団体での本願寺派住職よる6億円以上の巨額横領事件、本願寺派と懇意にしている芸能人やアナウンサーなどによるロシアの侵略擁護発言、直近では本願寺派の若手僧侶の動画が炎上した。  動画に関しては真宗の教義に照らしてもその発言内容はいかがなものかと思い質問したのだが、本人がそういう意図ではなかったと言っており、本願寺派の僧侶や門信徒もあまり問題視していない。現在は動画内のふざけた行為(本人はその意図はないと釈明)が主に他宗派から糾弾されている形だ。この炎上の一因として考えられるのは、本人は後で反省したような事を言っているが、当初の批判にはかなり挑戦的攻撃的に反論していたのも火に油を注ぐ形となったように見受けられる。  また、不祥事ではないが、教義面においても2018年に発表された自力の行を認めるかのような門首のお言葉にも動揺が広がった。この教義解釈の変更は他宗派への歩み寄りのようにも見えるが、軸がぶれている感は否めない。若手僧侶に影響がなかったと言えば嘘になるだろう。  では本願寺派はどうしようもないダメ宗派かというと一概にそうとも言えない。少なくとも浄土真宗も浄土教の基本的なフォーマットは保っており、他宗派の一部の人から言われる浄土真宗は仏教にあらずとの批判は正しくないと考える。むしろ浄土を絶対視し、それ以外のこの世を徹底的に穢らわしいと見る発想は、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、を他宗派よりも強く念じているようにすらみえる。戒律が存在しないのも叩かれる材料ではあるが、御恩報謝の思いで仏を念じていけば、自ら意図せずに戒を守るように成長する。常に強く仏を念じながら人を殺したり嘘をついたり物を盗もうとする人はいないし、心も穏やかになろう。問題はそれを実践できている僧侶や門徒が少ない事だが、理念的には浄土真宗本願寺派は仏教の一宗派としていいだろう。伝統ある宗派だけにその良さが活かせてないのは残念だ。  本願寺派の僧侶にも色んな人がおり、もちろんいい人が多いのだが、顔見知りなだけでも結構な変わり者(失礼)も散見される。過去には本願寺派系の病院で他宗派の患者を精神的に追い込んで本願寺派に改宗される僧侶がいたがあれは本当にダメだ(今もやっているのかは知らないけど)。西本願寺の本体が所属僧侶の個人的信条に介入することは...

宗教と政治

 しばらくブログを休んでいたが、暗殺された安倍元首相の四十九日法要も終わったこともあり、今日は安倍元首相暗殺事件も含めて宗教と政治の問題を考えてみたい。  さて、まず政治家が何かしらの宗教的倫理を政治に反映させようとすること自体は必ずしも悪い事ではない。例えば、殺すな盗むな嘘をつくなというような、伝統宗教に概ね共通するルールは現代社会においても通用するし、宗教の教え通りの政治はいけないとして、殺し奪い騙すような政治を実施するのは社会の安定を脅かすことになる。信者を騙し奪い人々を死に追いやる反社会的な価値観を持つカルトが政治に関わってはいけないのは自明だ。  また、政党が宗教色を帯びることも自体も国にもよるが問題ではない。例えばドイツにキリスト教民主同盟があるように、ヨーロッパではキリスト教の価値観を基礎に持つ政党も多い。イスラム圏で選挙がある国でもイスラムの理念を掲げる政党は多い。また、今後どうなるかはわからないが、アメリカ大統領の宣誓も聖書を用い神に誓うし、イギリスの行政権は建前上は英国国教会の長たる王の物だ。日本でも首相や内閣総理大臣や最高裁判所長官は形だけだが天皇陛下が任命している。世界の祝祭日も現地で優勢な宗教に由来するものも多い。政教分離を採用している国において特定の教団を優遇したり弾圧したりすることが無いようにするのは当然だが、各地の文化や社会正義と調和した伝統宗派の教えが政治に反映されても問題ないし、完全に排除するのも難しいだろう。  さて、安倍首相の暗殺はカルト教団である統一教会を恨む者による犯行だったと言われる。犯人がカルト教団そのものを狙わずにカルトの支援を受けていた政治家を狙った動機が何なのか明らかにされていないが、社会に与えたインパクトは巨大なものになった。もし犯人が安倍元首相ではなく、教団の信者を何人か殺したとしてもこれほど世間は騒がなかっただろう。  一方で、この問題に関するマスコミの報道には疑問がある。そもそも、統一教会が主に保守系の政治家に取り入っているという不愉快な事実は、多少政治に関心がある人間には以前からの常識であり、マスコミがまるで今はじめて知った驚愕の事実かのように報道するのはわざとらしいと言わざるを得ない。また、安倍元首相の暗殺のせいでカルト教団が人々から脅迫を受けて可哀想だと言わんばかりの報道をする局まである。確かに統一...

誰がどの政党や候補者を支持しようがそれ自体が非難されてはならない

 選挙が近くなってくると、個人や団体がどこそこの政党や候補者を支持するというような発表がなされることがある。それに対して、個人や団体が特定の政党を支持した事自体を問題視して、その個人や団体を非難して叩く風潮もあるが、これはよろしくない。自分と意見が合わないのであれば、その意見の相違に関して議論なりなんなりすれば良いのであって、自分と価値観が違う人が自分とは違う党を支持するのは当然だからだ。例えば、共産主義者は概ね共産党に投票するだろうし、ヘイトスピーチですら表現の自由だとするいわゆる表現の自由戦士は自民党に投票する傾向にあるだろう。  表現の自由戦士に対してガチで言論弾圧をしそうな共産党に投票しないのは酷いとか言われても、戦士諸君だって困るだろう。虎党が巨人を応援しないのは酷いと言われるくらいに意味不明だ。個人的には共産主義者も表現の自由戦士も逆のベクトルで行き過ぎだと考えているので、彼らに言いたい文句は多々あるが、彼らの投票行動自体を否定するのはもはや人権問題だ。  今回の選挙にも、日頃から私が規制すべきだと主張している陰謀論を掲げて選挙活動をしている政党や個人が散見される。私はそんな候補者が全員落選するように願っているが、可哀想にも陰謀論に取り憑かれてしまった人が彼らに投票するのは自由だ。選挙戦が始まる前に、致死的なデマを流した人は逮捕しておくべきだったのだとも思うが、候補者となった以上は選挙活動を阻害するべきではない。大した支持も集まらないだろうから良いが、日本の法律は甘い。凶器や毒物で一人でも殺せば逮捕されるのに、人命を奪う明らかな誤情報を金銭目的などで流布させて大量殺人をはたらいてもほとんど逮捕もされないのはおかしい。もっとも、エキセントリックな泡沫政党が存在するおかげで、それを支持するような犯罪予備軍があぶり出されたのは不幸中の幸いだ。当局には頑張って情報収集にあたって欲しい。

非実在キャラ

 近年、日本で表現の自由を守れと声高に叫ぶ人達の中には、ロリコンやペドフィリアの漫画やアニメやゲームを市販する自由を守れという集団もいる。彼らが得意満面にいうのは、彼らが好むコンテンツには人間の被害者がいないということだ。絵に描かれた幼い女の子が強姦されたり手足を切断されたり内臓を引きずり出されても、実際には誰も被害にあっていない。彼らは、絵の中の女の子が苦しむのを見て性的に興奮して射精する自由を主張する。こうしてガス抜きをした結果、実際の女児に被害が及ばないのだから良いことづくめだとも言う。だが、非実在キャラをどんなにしようが構わないという考えが必ずしも正しくないのは少しシチュエーションを変えれば明白なことだ。  例えば、非実在の黒人キャラクターを非実在の白人至上主義組織がリンチにかけて木につるして喜ぶというストーリーのレイシストを対象にした漫画があったとしよう。そんなものの市販が許されるか?否だ。こう言うと社会派の映画などでは黒人や有色人種が酷い目にあう作品なんていくらでもあると反論する人もいるが、そうした作品は差別を支持していない。そうした残虐行為に反対する文脈で描かれている。幼女を性的に肉体的に精神的に虐待して死に至らしめる欲望を持つ一部の人たちが、その欲望に忠実な描写を楽しむための漫画を市販させろと言うのが公序良俗に反するのは明白だ。  もし、黒人を虐殺するのを楽しむ目的で作られた漫画が流通し、レイシストたちが黒人の目の前で笑いながらその漫画を読んでいたらこれはもう脅迫と同じだ。ロリコン漫画を電車などの公衆の場でデュフデュフ言いながら読んでいる人たちも同じようなものだ。  だが恐ろしいことに、こうした特殊性癖をもつ集団は表現の文脈と言うものが分かっていない。少し前にオタクのインフルエンサーが、フェミニストたちは萌え絵の作品は批判するのに、女性を蔑視する表現が盛り込まれている進撃の巨人を批判しないのはダブル・スタンダードだとの文句を言っていた。進撃の巨人を読んだ人間なら当然理解していると思うが、女性蔑視やヘイトクライムはこの作品中で一貫して批判的に描かれている。この差異が一部のオタクたちには理解できないのだ。彼らが注目しているのは自分が好む表現の有無一点だ。作品の主張がなんであろうと、この手のオタクたちは自らの嗜虐趣味を満足させる表現があれば何でもいいのだ。...

香港返還25周年

 7月1日に香港の中国への返還25周年を迎える。その前日の6月30日に習近平が香港に入り、香港が完全に独裁国の一部となったのを世界に見せつけた。香港の自由と民主主義と人権が、どのように蹂躙されていったかを忘れてはならない。油断すれば日本も同じ目に遭う。  ロシア、中国、ミャンマー、北朝鮮などの独裁国と、欧米や日本などの自由主義諸国との対立はもはや避けようもない。今後ふたたび冷戦の時代となるのか、戦火を交えることになるのかは分からないが、ここまで価値観が違えば妥協はあり得ないし、あってはならない。独裁者に譲歩して得られる短期間の平和などまやかしに過ぎない。独裁者のご機嫌を伺うお土産を用意する必要は微塵もない。  日本国内にも、奴隷の鎖と引き換えに生存を許されることを平和と呼ぶようなファシストどもがウヨウヨいるが、次の選挙ではこうした輩を当選させてはならない。香港ではもはや自由な選挙は無い。彼らの無念と我が国の危機を思えば棄権など出来ないはずだ。  最近のファシストは口先では平和を唱えるが、実のところ独裁者の走狗となれと言っているだけだ。騙されてはいけない。日本を香港の様にしたくないのなら投票場に行って民意を見せつけてやるしかない。

たすけたまへ、たのむ

 部派仏教であれ大乗仏教であれ密教であれ、一般的に仏教は自分が修行して悟りを目指すのが基本であるが、浄土真宗では自力の修行を否定し阿弥陀如来の絶対他力にまかせる事を旨としている。自力を頼みとしないために慢心が抑えられる利点はあるが、作法や言葉の面で一般の仏教との乖離はあり、しばしば誤解の元となっている。  例えば、一般に神仏に向かって「たすけたまへ」「たのむ」と言えば何かしらの祈願をしていることになるが、浄土真宗の場合は違う。自分の望みを神仏に求めたのでは絶対他力にならない。真宗門徒の「たすけたまへ」は阿弥陀如来が一切衆生を助けるといっているのだから、「ああ、なら助けなさいませ」というような許諾のニュアンスであり、「たのむ」のはお願いしているのではなく阿弥陀如来の本願力をたのみ(頼り)にしているという帰依の表明となる。  現実的にいって阿弥陀如来に帰依していようがいまいが、世の中が自分の思い通りになることは無く、その本願力をたのみにするとは死後に浄土に生まれ仏になるとの確信であり、究極的なナンクルナイサーであると同時に自分の不甲斐なさを日々恥じ入るのだ。それゆえ自然に善いことをするようになる傾向はある。  だが、こういう発想なので浄土真宗的視点では祈願や祈祷は、他力をたのめない信仰心の低い行為だということになる。内輪でそう思うのは良いのだが、それを根拠に他宗派を攻撃するのはやめていただきたいものだ。

結婚式の加害性

 人の幸せを喜び、不幸を悲しむのは、慈悲を重んじる大乗仏教的では当然のことだ。  ここ数日、結婚式の加害性なる言葉がネット界隈を賑わせているが、他人の幸せを妬み、他人の不幸を望むのは、我に執着した煩悩の表れだと言える。  日本では結婚式の時だけキリスト教の唯一神に祝福を受ける夫婦が多いが、唯一なる神の祝福を受け神に誓った夫婦は、神の愛を地上に顕現させる使命を負っている。要は、神が望むような愛にあふれる家庭を築く義務が発生するのだ。最近では人前式なる結婚式の形態も増えてきたが、基本的に結婚式は誓約をともなう儀式であり、単に男女がつきあっているのとは違う拘束力が発生する。この儀式はあくまでも内向きの話であり、参列者は見届人というわけだから、結婚式それ自体に他者に対する攻撃性は無い。結婚式に加害されたと思う人がいるのであれば、それは受け手側の妄想だ。  そもそも結婚式の加害性などと言っているが、加害性が生まれる余地があるとすれば披露宴の方では無いだろうか?演出次第によっては新郎新婦や親族や出席者の一部が嫌な思いをすることもあるだろう。しかし、世間的な常識の範囲内での披露宴で幸せそうな新郎新婦を見たせいで惨めな自分が更に惨めになったから結婚式には加害性があるなどと言うのは、結婚式ではなくそんな惨めな思考しか出来ない受け手が自分自身を加害しているに過ぎない。実に可哀想だ。  この話題に関してネット界隈ではミソジニスト達が、披露宴は女性が周囲を攻撃し優位に立つためにやっているなどという色々とこじらせた意見を言っている。一体どれだけの酷い人生を歩めばそういう発想に至るのだろうか?悲しいことだ。

人権や環境に配慮した商品

 ユニクロの作る質の良い製品が驚くほど安価で売られているのは、組織的な人権蹂躙の結果だ。それはウイグル人の奴隷労働だったり、国内でも労働関係の法令を無視した過重労働を強いているから可能なのだ。  このように血塗られた製品を購入することは倫理的に問題があるばかりで無く、十分な対価を得られない労働者の貧困に拍車をかけることにもなる。  もしユニクロが心を改め、中国のジェノサイド政策を批判して奴隷労働による綿花の使用を拒否し、従業員に十分な給料と休養を与えたなら、恐らく商品価格は上がるだろう。だが、従業員の購買力は上がる。  さらに、ユニクロだけでなく他の人道に対する罪を犯している悪徳企業が人権に配慮するようになれば、物価も上がるが人々の購買力も上がり経済には良い循環が生まれる。  人権に配慮された製品の値段はそうでないものより高額になりがちで、人権への配慮で物が買えなくなるとする貧困層からの批判もある。しかし、物の値段が不当に安いのは貧困層が薄給で過重労働を強いられているからであって、まず適正な給与の支払いをさせるように圧力をかけねば、貧困は再生産され続ける。  同様に、環境に配慮した製品も高額になりがちだが、環境から再生産出来ないレベルの収奪を行えば、後々もっと高額になる。水産業などでは特にそうだ。人権問題と違い、水産物の乱獲が問題であることに関しては人々の理解を得やすいが、それでも実際には乱獲されてしまう。ダメなことだと分かっていても目の前の利益を優先させてしまう人が多いのだろう。

女性による妊娠中絶の権利

 ある程度は予測されていたことだが、6月24日にアメリカの連邦最高裁判所が、49年前から認められていた女性の中絶の権利を違憲とした。最近、アメリカの諸州で、母体の危険が予測されようが強姦の結果できた子であろうが人工妊娠中絶を認めないとする法律が次々と成立しているが、許容出来ない。  母体の危険が予測さえる場合はもちろん、女性側からみて望まぬ妊娠であれば、少なくとも妊娠中期前半までの中絶は女性の意志によるべきだ。なお日本の法律で、妊娠22以降の中絶が不能なのは、それ以降は早産したとしても児の生存が見込めるからだ。要は堕胎が殺人になると判断される週数ということになる。  ここで問題となるのは胎児をどの時点で人間であるとみなすかだ。今回の中絶禁止の背景にはキリスト教過激派の関与がささやかれているが、例えばカトリックでは受精卵の時点で人間であるとみなす。アメリカで主流のプロテスタントは派閥が多く見解は一定していないが、中絶禁止を求めている人々も概ね受精卵を人間だと考えている。こうした見解だから全ての堕胎は汝殺すなかれとの彼らの戒に反することになる。一方で、人工妊娠中絶を許容するプロテスタントの派閥もある。また、イスラム教でも中絶に一定の猶予を認める見解も存在する。(シーア派の)イスラム法で運営されているイランには治療的人工妊娠中絶法が存在しており、中絶は絶対的禁忌ではない。イスラム法の解釈にもよるが、胎児に魂がこもるのが受精から約4ヶ月後だという説も存在する。ただ、この場合は女性の権利ではなくあくまでも母体の保護が目的とされている。  ともかく、受精卵から人間であるとみなしている人と、そうでない人の価値観の差は絶望的に大きい。様々な価値観があること自体は別によいのだが、先に言ったようにアメリカでは近年次々と絶対的な堕胎禁止法が複数の州で成立している。今回のアメリカの連邦最高裁判所が中絶に関する女性の権利を否定したのは、この流れを加速させることになる。権利があってもそれを行使しない自由はあるが、今回は権利が否定されたのであり選択の余地はなくなる。深刻な事態だ。

穢土成仏

 悲華経に穢土成仏の話がある。昔々、阿弥陀如来と釈迦如来が成仏する前のいくつもあった前世で、後に阿弥陀如来になる人が王様だった世界があり、その家臣に後に釈迦如来になる人がいた。当時の世界観では世界は時間が経つほどに汚れていくとの考えがあったが、当時はまださほど汚れが進んではおらず、お釈迦様の前世である家臣の子が成仏し宝蔵如来となった。これに感化され王様も悟りを得ようと、環境の良い仏様の浄土での成仏を願った。その王子たちもまた浄土での成仏を願うようになった。一方、家臣の他の子らは浄土ではなく汚れた現世である穢土での成仏を願った。穢土で成仏すればそこで苦しむ人々の助けになるが、環境は悪く修行は大変だ。大臣の子らは、まだ汚れがさほど進んでない状態の穢土での成仏を希望した。最後にただ一人、お釈迦様の前世である家臣は、苦しむ人々の救済の為に後々の濁りきった世界での成仏を誓われ、宝蔵如来はお釈迦様の大きな慈悲の心を讃えた。そんな話だ。  劣悪な環境である穢土での成仏は難しい。穢土で苦しむ人を救うためにあえてその難しい行に挑まれ達成したお釈迦様は偉大だ。もっとも、法華経に準拠すれば、お釈迦様はずっと昔から仏であり人間の姿は方便に過ぎないのだが、いずれにしてもお釈迦様の成仏は多くの人々を勇気づけた。  現実世界でも、苦境に打ち勝って大成した人の存在は、多くの苦しむ人の希望となる。だが、その裏には苦境に潰され散っていった膨大な数の人々がいるのを忘れてはいけない。個々人が苦境に負けないタフさを身につけるのは良いが、既に苦境から脱した力がある者は人々が妄想に囚われることなく正しく学べる環境を整えるべきだ。初めから良い環境で良い教育を受けた人達も、苦しむ人たちへの慈悲を忘れてはいけない。  

陰謀論候補

 来たる参議院選挙では陰謀論を唱える候補が多い。昔から変なことをいう候補はいたが、今回は多すぎだ。恐ろしいことに現在でも、陰謀論を唱える国会議員は存在する。今回の選挙で陰謀論議員が増えないように祈る。選挙とは良い候補選ぶのが基本だが、選挙区の候補がどれもアレな場合は最悪の選択を避けるために一票の使うのが正しい。  陰謀論候補のほとんどは当選しまい。だが、オウム真理教の真理党が選挙で惨敗した際に、彼らはそれを国家的陰謀だとの妄想を膨らませ過激なテロへ走っていった。油断は出来ない。  最近でもトランプとQアノン一派は大統領選で負けるやアメリカの議会を襲撃する暴挙に出た。狂った陰謀論者は何をしでかすか分かったものじゃない。治安当局には十分な警戒を願いたい。一般市民も日々彼らを警戒し不審な挙動があれば当局への通報を躊躇してはいけない。

大きな主語としての仏教

 一部の仏教関係者が「仏教では〜」という場合にそれが特定宗派に特有の考え方やお作法であることも多い。こうした言説は、他宗派の人からの反感を買いやすいが、各宗派とも仏教には違いはない。これは、何某宗何某派の仏教解釈を、仏教全体ではという意味に解釈するから起きる問題だと言える。その辺は不本意であっても内向きと外向きの言葉遣いは変えた方が誤解が少なくて済むだろう。  さて、では仏教ではという大きな主語を用いても許される範囲はどこまでだろうか?諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印については仏教ではと言っても問題あるまい。一切皆苦を足した四法印は、大乗仏教の常楽我浄との矛盾を指摘する意見があるものの、一般論としての一切皆苦は否定出来ないと思われる。だから、仏教ではとの主語の利用は四法印まではセーフだ。また、初転法輪で説かれたとされる四諦八正道も仏教ではと言ってよい。大乗仏教で最も有名なお経である般若心経では「無苦集滅道」との文言があり、四諦を無とみなすが、空は四諦に含まれる縁起の思想から演繹であり根本が異なる訳ではない。  では、大乗仏教の根幹である空や唯識はどうか?部派仏教からは否定されるだろう。しかし、日本で仏教ではといえば基本的に大乗仏教の事であり、日本ローカルの集まりで前後の文脈から大乗の話だと判っていれば、仏教ではと言っても良い。  それ以外の宗派的な話は、外向きには何々宗ではと注釈を入れた方が気遣いが出来ていると思う。

同性婚

 日本の地裁が同性婚を違憲としたというニュースが国内だけでなく海外でも話題になっている。  同性のカップルが婚姻出来ないために、相続や税金の面で不利になるのは確かに問題だといえる。同性婚反対派は色々と批判をしているが、社会的圧力により同性愛者がしぶしぶ異性と結婚したところで子作りには消極的だし健全な家庭運営が出来るとも思えず、同性婚を認めて不本意な異性との結婚を防ぐほうが、異性愛者にとっては有益なはずだ。個人的には同性婚制度に反対する理由は無い。  だが一方で、日本国憲法が制定された際の、両性の合意云々との文言は、家による強制ではなく二人の男女の個人の意志により結婚が成立するとの意味であるのは明白であり、同性婚は想定外であった。だから、同性婚が合憲でない場合に問題となるのは憲法側の不備であって、そう伝えた判事が悪い訳ではない。別の地方裁判所では違憲との判断もあり見解が分かれるところではあろうが、その場の雰囲気や流れで人間が勝手に解釈を変えていい法律なんて法律の体をなしていない。同性婚を確実に合憲にしたいのならば改憲するべきだ。九条に関しても自衛権が問題ないのは元ネタとなった国際連盟の理念からして当然であるが誤解を招きやすい。日本国憲法はそろそろ変えた方がいいのかも知れない。  さて、世界的にみても今回の日本の司法判断に対しては、概ね前時代的だとの批判が多いが、イスラム圏ではこの司法判断を歓迎する声が大きい。イスラム教では同性愛は禁止されているので当然と言えば当然だ。同性愛が禁止されているのはカトリックでも同様だ。結婚式を教会であげた人も多いだろうが、実は、神に祝福されて結婚した男女が作る家族は神の愛を地上に顕現させる使命を帯びている。彼らにとって結婚とは神聖で特別なものだ。彼らの価値基準では、同性愛者のペアが「結婚」するなど神への冒涜に等しい事になる。  このように、同性婚をしたい人達と反対する人達の溝は深い。だが、一神教の信仰に基づく同性婚の否定だけならば、妥協の余地はある。同性のパートナーが共同生活をするにあたり、結婚と同様の法的権利を認めてそれを「結婚」という名詞では呼ばなければ済むことだ。そもそも同性婚をしたい人達の中で神からの祝福を受けたい人はそう多くはあるまい。単なる名称の問題ならばこの辺が落とし所ではないだろうか?

SDGs ゴール17 パートナーシップで目標を達成しよう(後編)

中編 からの続き  ターゲット17.13は「 政策協調や政策の首尾一貫性などを通じて、世界的なマクロ経済の安定を促進する 」だ。新型コロナウイルスの流行により経済に混乱が生じた時に、各国は金融緩和などで対応をした例などがある。一方で、戦争で経済的な混乱を引き起こす独裁国もありどう対処していくかは今後の課題だろう。  ターゲット17.14は「 持続可能な開発のための政策の一貫性を強化する 」だ。持続可能な開発は様々な分野が協調してこそ可能となる。    ターゲット17.15は「 貧困撲滅と持続可能な開発のための政策の確立・実施にあたっては、各国の政策空間及びリーダーシップを尊重する 」だ。開発途上国への支援でありがちなのは、支援を通じてその国を牛耳ってしまうことを目指したかのような例も散見される。過剰融資によって国中を債務漬けにする手法はしばしば問題視されている。  ターゲット17.16は「 全ての国々、特に開発途上国での持続可能な開発目標の達成を支援すべく、知識、専門的知見、技術及び資金源を動員、共有するマルチステークホルダー・パートナーシップによって補完しつつ、持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップを強化する 」だ。環境問題や人権問題は国境を超えた問題であり、そうした問題に対処する能力に乏しい国には支援が必要だ。  ターゲット17.17は「 さまざまなパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する 」だ。日本ではネオリベラリストらの跋扈により、すっかり公務員は悪と無駄の象徴にされてしまったが、利害に縛られずやるべきことをやる公正さは営利企業には維持し難く、格差の是正の面でも重要な役目を果たしている。経済の主役である民間企業との協調は必要不可欠だが、公務員が営利企業の真似事をしても意味はない。  ターゲット17.18は「 後発開発途上国及び小島嶼開発途上国を含む開発途上国に対する能力構築支援を強化し、所得、性別、年齢、人種、民族、居住資格、障害、地理的位置及びその他各国事情に関連する特性別の質が高く、タイムリーかつ信頼性のある非集計型データの入手可能性を向上させる 」だ。  データは集計されてしまうと実態を反映しないこともある。例えば、とある草野球チームの平均年収は、チームにビ...

SDGs ゴール17 パートナーシップで目標を達成しよう(中編)

前編 からの続き。  ターゲット17.6は「 科学技術イノベーション(STI)及びこれらへのアクセスに関する南北協力、南南協力及び地域的・国際的な三角協力を向上させる。また、国連レベルをはじめとする既存のメカニズム間の調整改善や、全世界的な技術促進メカニズムなどを通じて、相互に合意した条件において知識共有を進める 」だ。  新型コロナウイルス感染症は、科学の力で制圧されつつある。だが、一方で荒唐無稽なデマが科学技術を用いた道具により広がりもした。技術のみではなく正しい知識の世界的共有が必要だ。 ターゲット17.7は「 開発途上国に対し、譲許的・特恵的条件などの相互に合意した有利な条件の下で、環境に配慮した技術の開発、移転、普及及び拡散を促進する 」だ。開発途上国への技術移転が損であるかのように言われることもあるが、商売にもなる。搾取は論外だがお互いに良い条件での持続可能な開発が求められる。 ターゲット17.8は「 後発開発途上国のための技術バンク及び科学技術イノベーション能力構築メカニズムを完全運用させ、情報通信技術(ICT)をはじめとする実現技術の利用を強化する 」だ。後開発途上国の底上げは大切だが、何も分かっていない人達に詐欺師たちが襲いかからないように保護する必要もある。 ターゲット17.9は「 全ての持続可能な開発目標を実施するための国家計画を支援するべく、南北協力、南南協力及び三角協力などを通じて、開発途上国における効果的かつ的をしぼった能力構築の実施に対する国際的な支援を強化する 」だ。圧倒的な能力の格差の元では不公平が生じやすい。 ターゲット17.10は「 ドーハ・ラウンド(DDA)交渉の結果を含めたWTOの下での普遍的でルールに基づいた、差別的でない、公平な多角的貿易体制を促進する 」だ。  保護貿易を排し自由貿易を推進するのは、保護貿易化が第二次世界大戦の原因の一つとなったのを反省してのことでもある。しかし、結局戦争は起きた。侵略国家に対する経済制裁に関してはまだまだ考慮の余地ありそうだ。ただ、少なくとも搾取的な貿易は廃されるべきだろう。 ターゲット17.11は「 開発途上国による輸出を大幅に増加させ、特に2020年までに世界の輸出に占める後発開発途上国のシェアを倍増させる 」だ。現在の46の後開発途上国に2015年以降に後開発途...

SDGs ゴール17 パートナーシップで目標を達成しよう(前編)

 SDGsゴール17は、 持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化することだ。これまでのゴールを達成するために世界中が連携しましょうということになる。  そんなゴール17は17.1〜17.19の19のターゲットで構成されている。今回はターゲットも多く、内容も濃いので分割する。  ターゲット17.1は「 税及びその他の歳入を集める能力の向上のため、開発途上国への国際的な支援なども通じて、国内資源の動員を強化する 」だ。これは先進国が国内に重税を課して開発途上国を支援しようと言っているようにも見えるが、間接税の税率を上げれば消費は滞り景気も悪化して税収が減るのは明白であり、単に増税すれば良いのではないことも明白だ。外務省は原文の”   to improve domestic capacity for tax and other revenue collection ”の部分を「 課税及び徴税能力の向上のため 」と訳しているが、やや財務省の影が見える。ターゲット17.1の評価には国の予算のうち税金が占める割合も含まれており、国債の比率が高い日本の政府は国債発行を減らし課税を増やしたい意図もあるのだろうが、どうせインフレが進めば借金は目減りするのだから、じゃぶじゃぶ国債を発行すればいいのだ。景気の加熱を心配して増税するのを不景気の時にやる意味は無い。さて、日本の話はともかく、SDGsでは国家の連帯による世界規模の努力や私企業への世界的な統制は不可欠であり、基本的には大きな政府を目指している。これはネオリベラリストや陰謀論者がSDGsを嫌う理由の一つでもあるだろう。  ターゲット17.2は「 先進国は、開発途上国に対するODA(政府開発援助)をGNI(国民総所得)比0.7%に、後発開発途上国に対するODAをGNI比0.15~0.20%にするという目標を達成するとの多くの国によるコミットメントを含むODAに係るコミットメントを完全に実施する。ODA供与国が、少なくともGNI比0.20%のODAを後発開発途上国に供与するという目標の設定を検討することを奨励する 」だ。国民総所得(GNI)とは国内総生産(GDP)に国内外への資金の流れを加えたものとなる。だからGDPが高い国でも国外へ膨大な富の流出が起きていればGNIは下がるし、GDPが低...

SDGs ゴール16 平和と公正をすべての人に

 平和でなければ持続可能な開発などありはしない。公正でなければ「誰ひとり取り残さない」というSDGsの理念に反する。  さて、SDGsのゴール16は16.1〜16.10と16.a、16.bの12のターゲットよりなるが、これらは基本的には個人や犯罪組織ないしはテロ組織に関する暴力やそれにより乱される平和や不正をどうにかしようとする物だ。政治的にわざと曖昧にした可能性はあるが、大国の正規軍どうしが全面戦争をするなどという異常な事態はSDGs策定当時はあまり現実味のある話ではなかったのだろう。SDGsの期限である2030年を過ぎれば、この理念を継ぐ新たな国際的な目標が設定されるだろうが、その際に世界はどうなっているのか?戦争を現実的なリスクとして対応する何かしらの目標が設定されるのか気になるところだ。とはいえ、ゴール16の各ターゲットは戦争の有無に関わらず達成されるべきものだ。  ターゲット16.1は「暴力および暴力による死亡を減らす」だ。銃規制がザルのアメリカでは、多くの市民が毎日銃撃で死亡する。愚かなことだ。一方で、中国では国家が主体的に占領地の異民族を絶滅させようとしている。残念ながら世界は暴力に満ちているから、こういう目標が立てられるのだ。  ターゲット16.2は「子供に対する虐待や暴力・拷問をなくす」だ。子供は脆弱だ。親や法の保護がなければ、悪意を持った人間の暴力により支配される。加害する大人は厳しく処断すべきだし、子供用の保護施設の充実も図るべきだ。  ターゲット16.3は「司法への平等なアクセスを提供する」だ。権力者が市民の大量虐殺をやっても捕まらず、一般市民は突然捕まり裁判もなく殺されたり労働改造所に送られるような独裁国は存在してはならない。  ターゲット16.4は「 違法な資金及び武器の取引を大幅に減少させ、奪われた財産の回復及び返還を強化し、あらゆる形態の組織犯罪を根絶する 」だ。犯罪組織を舐めてはいけない。メキシコなどは内戦に等しい状況だ。ああなる前に芽は確実に摘んでおく必要がある。暴力団やテロ組織は撲滅あるのみだ。  ターゲット16.5は「汚職や贈賄を大幅に減少させる」だ。人間が凡夫である以上、完全に汚職や贈賄を防ぐことは出来ないが、権力構造が固定して絶対的である独裁国の方が汚職は生じやすい。なお、独裁国ではみんなが贈収賄をするから、トラブルがある...

SDGs ゴール15 陸の豊かさも守ろう

 何度も言うが、森林を破壊してソーラーパネルを敷き詰めるなど言語道断な反SDGs行為だ。光害に気をつけつつ屋根や屋上につけるのが良かろう。  SDGsゴール15の陸の豊かさも守ろうは「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」事が目指されている。  そんなゴール15は15.1〜15.9と15.a〜15.cの12のターゲットから成り立っている。  ターゲット15.1は「陸域生態系と内陸淡水生態系及びそれらのサービスの保全、回復及び持続可能な利用を確保する」だ。生態系は種々の生物が複雑に関係しあっており、なにか一つを守ればいいと言うわけではない。全体として保護に取り組むのが重要だ。  ターゲット15.2は「森林の持続可能な経営の実施を促進し、森林減少を阻止し、劣化した森林を回復させる」だ。木の成長には時間がかかる。木材が持続的に利用できるような森林管理が望まれる。  ターゲット15.3は「砂漠化に対処し、劣化した土地と土壌を回復し、土地劣化に荷担しない世界の達成に尽力する」だ。中国の占領下にあるモンゴル南部の砂漠化など、独裁国による無謀な開発は世界的な迷惑だ。  ターゲット15.4は「持続可能な開発に不可欠な便益をもたらす山地生態系の能力を強化するため、生物多様性を含む山地生態系の保全を確実に行う」だ。山野は木材の生産地としてだけではなく、水源となり防災にも役立ち、食品も採れる。人間が直接利用しないものも生態系の中で相互に影響しあっている。その保全は大切だ。  ターゲット15.5は「絶滅危惧種を保護し、また絶滅防止するための緊急かつ意味のある対策を講じる」だ。絶滅した生物は元には戻らない。またそれが生態系の打撃ともなる。絶滅の防止は努めなければならない。  ターゲット15.6は「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分を推進するとともに、遺伝資源への適切なアクセスを推進する」だ。開発途上国から得られた遺伝資源を安価で買いたたき一部の人間が莫大な利益を得てはならない。  ターゲット15.7は「保護の対象となっている動植物種の密猟及び違法取引を撲滅し、違法な野生生物製品の需要と供給の両面に対処する」だ。例えば、漢方薬の原料として絶滅危惧種のサイが殺されている。だが...

SDGs ゴール14 海の豊かさを守ろう

 SDGsのゴール14は「海の豊かさを守ろう」だ。海洋に流出するマイクロプラスチックが問題視されている影響で、小売店のレジ袋が有料化されたり、ファストフード店などのプラスチック制のストローやスプーンなどが他の素材の変更されたりしたので印象に残っている人も多いだろう。マイクロプラスチックによる海洋汚染の最大の責任国は中国であり、生産量が多いこともさることながら、独裁国ならではの処理や管理の杜撰さも原因の一つだと言える。ただ、先進国でも厳密な管理は難しく、質の良い代替素材の開発が待たれる。  さてゴール14はもちろんマイクロプラスチック以外の問題も扱っている。SDGsは持続可能な開発目標なのだから、主たる目標は海洋資源の持続可能な利用であり、汚染の防止や多様性の維持はその手段となる。ゴール14は14.1〜14.7と14.a〜14.cの10のターゲットより構成されている。  ターゲット14.1は「海洋汚染を防止、削減する」だ。これは先述のマイクロプラスチックの他、種々の汚染物質や、富栄養化による被害も含まれる。  ターゲット14.2は「海岸・沿岸の生態系を回復させる」だ。海辺にお住まいの人なら磯焼けを見たことがあるかも知れない。まさしく海の砂漠化だ。磯焼け自体は必ずしも人為的な原因で起きるとは限らないが、わざわざ磯焼けや環境破壊を起こしそうな行為をする必要もない。陸上からの沿岸に流れる栄養が極度に増えたり減ったり、有害物質を放出したりしないように注意が必要だ。  ターゲット14.3は「海洋酸性化の影響を最小限化する」だ。海洋酸性化とは主に人類の活動による二酸化炭素の影響で海が酸性化することだ。薄い炭酸水になると思って貰えれば良い。アクアリウムを持っている方なら分かるだろうが、水のちょっとした変化で死んでしまう生物も多い。今のような過剰な二酸化炭素の放出は抑えるべきだ。  ターゲット14.4は「漁獲を規制し、不適切な漁業慣行を終了し、科学的な管理計画を実施する」だ。一時的な利益を狙った水産物の乱獲は、結果として大希望な資源の減少を招き、生態系にも影響し更に被害が拡大しうる。回遊魚には国境は関係ないので、国際的な協力体制が求められる。  ターゲット14.5は「少なくとも沿岸域及び海域の10%を保全する」だ。生物多様性の観点から重要な海域の少なくとも10%を保護し資源の回復にあ...

SDGs ゴール13 気候変動に具体的な対策を

 決して少なく無い人が、SDGsとは気候変動や環境問題のみを扱っていると信じている。確かに、地球の環境が人類の活動に比べて遥かに広大で、持続可能性なんて気にしないでもよければSDGsは誕生しなかったであろうから、環境問題はSDGsにおいて極めて重要ではある。気候変動に対して具体的な対策を求めるゴール13はSDGsの要と言っても良いが、そのために貧困問題や人権問題を放置して良い訳ではないのはこれまでのゴールで見てきた通りだ。  そんなゴール13はターゲット13.1〜13.3と13.a、13.bの5つで構成されている。  ターゲット13.1は「気候関連災害や自然災害に対する強靭性と適応能力を強化する」だ。気候変動を抑える努力は必要だが、既に気候変動は始まっており当面は確実に悪化する。今後の災害を予測しての建造物の強化や、災害時の避難場所や経路の策定、物資の貯蔵や復興計画など公的にも私的にも備える必要がある。  ターゲット13.2は「気候変動対策を国別の政策、戦略および計画に盛り込む」だ。防災関係のインフラ整備や法の整備、対応する人員の確保など、立法や行政に出来ることは多い。  ターゲット13.3は「気候変動対策に関する教育、啓発、人的能力および制度機能を改善する」だ。恐ろしいことに、日本の国会にも温暖化を否定する陰謀論者が入り込んでいる。これはとりも直さず、相当数の有権者も陰謀論を信じていることを意味する。アメリカに至っては前大統領から狂った陰謀論者だったのは記憶に新しい。教育は大切だ。  ターゲット13.aは「国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の先進締約国によるコミットメントを実施し、緑の気候基金を本格始動させる」だ。緑の気候基金はは2015年に日本などが資金の拠出し始動しており現在も活動が続けられている。緑の気候基金は国連気候変動枠組条約に基づくもので、開発途上国の温室効果ガス削減と、気候変動の影響への対処を目的としている。  ターゲット13.bは「開発途上国における気候変動関連の効果的な計画策定や管理能力を向上するためのメカニズムを推進する」だ。このターゲットでは途上国の社会的弱者により働きかけるように言われている。今日の食べ物にも困る人達が環境問題を気にするのは難しいからだ。  ゴール13達成のためには、気候変動による災害を予測し対策を考え、その予防や環境の改...