穢土成仏
悲華経に穢土成仏の話がある。昔々、阿弥陀如来と釈迦如来が成仏する前のいくつもあった前世で、後に阿弥陀如来になる人が王様だった世界があり、その家臣に後に釈迦如来になる人がいた。当時の世界観では世界は時間が経つほどに汚れていくとの考えがあったが、当時はまださほど汚れが進んではおらず、お釈迦様の前世である家臣の子が成仏し宝蔵如来となった。これに感化され王様も悟りを得ようと、環境の良い仏様の浄土での成仏を願った。その王子たちもまた浄土での成仏を願うようになった。一方、家臣の他の子らは浄土ではなく汚れた現世である穢土での成仏を願った。穢土で成仏すればそこで苦しむ人々の助けになるが、環境は悪く修行は大変だ。大臣の子らは、まだ汚れがさほど進んでない状態の穢土での成仏を希望した。最後にただ一人、お釈迦様の前世である家臣は、苦しむ人々の救済の為に後々の濁りきった世界での成仏を誓われ、宝蔵如来はお釈迦様の大きな慈悲の心を讃えた。そんな話だ。
劣悪な環境である穢土での成仏は難しい。穢土で苦しむ人を救うためにあえてその難しい行に挑まれ達成したお釈迦様は偉大だ。もっとも、法華経に準拠すれば、お釈迦様はずっと昔から仏であり人間の姿は方便に過ぎないのだが、いずれにしてもお釈迦様の成仏は多くの人々を勇気づけた。
現実世界でも、苦境に打ち勝って大成した人の存在は、多くの苦しむ人の希望となる。だが、その裏には苦境に潰され散っていった膨大な数の人々がいるのを忘れてはいけない。個々人が苦境に負けないタフさを身につけるのは良いが、既に苦境から脱した力がある者は人々が妄想に囚われることなく正しく学べる環境を整えるべきだ。初めから良い環境で良い教育を受けた人達も、苦しむ人たちへの慈悲を忘れてはいけない。
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