非実在キャラ

 近年、日本で表現の自由を守れと声高に叫ぶ人達の中には、ロリコンやペドフィリアの漫画やアニメやゲームを市販する自由を守れという集団もいる。彼らが得意満面にいうのは、彼らが好むコンテンツには人間の被害者がいないということだ。絵に描かれた幼い女の子が強姦されたり手足を切断されたり内臓を引きずり出されても、実際には誰も被害にあっていない。彼らは、絵の中の女の子が苦しむのを見て性的に興奮して射精する自由を主張する。こうしてガス抜きをした結果、実際の女児に被害が及ばないのだから良いことづくめだとも言う。だが、非実在キャラをどんなにしようが構わないという考えが必ずしも正しくないのは少しシチュエーションを変えれば明白なことだ。

 例えば、非実在の黒人キャラクターを非実在の白人至上主義組織がリンチにかけて木につるして喜ぶというストーリーのレイシストを対象にした漫画があったとしよう。そんなものの市販が許されるか?否だ。こう言うと社会派の映画などでは黒人や有色人種が酷い目にあう作品なんていくらでもあると反論する人もいるが、そうした作品は差別を支持していない。そうした残虐行為に反対する文脈で描かれている。幼女を性的に肉体的に精神的に虐待して死に至らしめる欲望を持つ一部の人たちが、その欲望に忠実な描写を楽しむための漫画を市販させろと言うのが公序良俗に反するのは明白だ。

 もし、黒人を虐殺するのを楽しむ目的で作られた漫画が流通し、レイシストたちが黒人の目の前で笑いながらその漫画を読んでいたらこれはもう脅迫と同じだ。ロリコン漫画を電車などの公衆の場でデュフデュフ言いながら読んでいる人たちも同じようなものだ。

 だが恐ろしいことに、こうした特殊性癖をもつ集団は表現の文脈と言うものが分かっていない。少し前にオタクのインフルエンサーが、フェミニストたちは萌え絵の作品は批判するのに、女性を蔑視する表現が盛り込まれている進撃の巨人を批判しないのはダブル・スタンダードだとの文句を言っていた。進撃の巨人を読んだ人間なら当然理解していると思うが、女性蔑視やヘイトクライムはこの作品中で一貫して批判的に描かれている。この差異が一部のオタクたちには理解できないのだ。彼らが注目しているのは自分が好む表現の有無一点だ。作品の主張がなんであろうと、この手のオタクたちは自らの嗜虐趣味を満足させる表現があれば何でもいいのだ。

 日本において表現の自由はかなり強固だ。信じれば人を死に至らしめる誤情報だろうがなんだろうが決して公的に検閲を受けないし発禁されることも無い。非実在キャラを用いた漫画類に関する規制も基本的にはゾーニングのお願いが主だ。騒ぐ人達はこれをもって表現の自由への侵害だなどというが、少しは自制してほしいものだ。

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