同性婚

 日本の地裁が同性婚を違憲としたというニュースが国内だけでなく海外でも話題になっている。

 同性のカップルが婚姻出来ないために、相続や税金の面で不利になるのは確かに問題だといえる。同性婚反対派は色々と批判をしているが、社会的圧力により同性愛者がしぶしぶ異性と結婚したところで子作りには消極的だし健全な家庭運営が出来るとも思えず、同性婚を認めて不本意な異性との結婚を防ぐほうが、異性愛者にとっては有益なはずだ。個人的には同性婚制度に反対する理由は無い。

 だが一方で、日本国憲法が制定された際の、両性の合意云々との文言は、家による強制ではなく二人の男女の個人の意志により結婚が成立するとの意味であるのは明白であり、同性婚は想定外であった。だから、同性婚が合憲でない場合に問題となるのは憲法側の不備であって、そう伝えた判事が悪い訳ではない。別の地方裁判所では違憲との判断もあり見解が分かれるところではあろうが、その場の雰囲気や流れで人間が勝手に解釈を変えていい法律なんて法律の体をなしていない。同性婚を確実に合憲にしたいのならば改憲するべきだ。九条に関しても自衛権が問題ないのは元ネタとなった国際連盟の理念からして当然であるが誤解を招きやすい。日本国憲法はそろそろ変えた方がいいのかも知れない。

 さて、世界的にみても今回の日本の司法判断に対しては、概ね前時代的だとの批判が多いが、イスラム圏ではこの司法判断を歓迎する声が大きい。イスラム教では同性愛は禁止されているので当然と言えば当然だ。同性愛が禁止されているのはカトリックでも同様だ。結婚式を教会であげた人も多いだろうが、実は、神に祝福されて結婚した男女が作る家族は神の愛を地上に顕現させる使命を帯びている。彼らにとって結婚とは神聖で特別なものだ。彼らの価値基準では、同性愛者のペアが「結婚」するなど神への冒涜に等しい事になる。

 このように、同性婚をしたい人達と反対する人達の溝は深い。だが、一神教の信仰に基づく同性婚の否定だけならば、妥協の余地はある。同性のパートナーが共同生活をするにあたり、結婚と同様の法的権利を認めてそれを「結婚」という名詞では呼ばなければ済むことだ。そもそも同性婚をしたい人達の中で神からの祝福を受けたい人はそう多くはあるまい。単なる名称の問題ならばこの辺が落とし所ではないだろうか?

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