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花見

  短期間に咲いて散っていく桜は世の無常を思わせる日本人の心の花です。桜に無常を見て哀れを感じるのは仏教者的視点かもしれませんが、仏教が日本に広まる以前から桜は日本人に大切にされており、冬の間は山にこもっている田の神さまが春になって里に降りて桜の木に宿るとされてもいました。現代に伝わる花見は平安時代に春の訪れを祝う貴族達の風習にはじまり、徐々に武家などにも広がっていき、一般庶民にも広がったのは江戸時代と言われます。江戸時代の頃は、満開の時期より桜が散る時期の姿が愛でられていたとも言います。  現代のお花見の桜はほとんどがソメイヨシノですが、これは江戸時代の後期に開発され明治時代に日本中に広がったものです。それまではヤマザクラが観賞用の桜の主流でした。しかし、単に山に咲いている桜のことを品種とは別に山桜と呼ぶこともあります。桜にも様々な品種があるので色々見て回るのも春の楽しみの一つです。ちなみに小生の職場の近所には一本だけ御衣黄があります。咲くのは来月後半になるでしょうが皆が桜を忘れた頃にこっそり咲く緑色の桜はなにやら奥ゆかしさを感じます。  今年もコロナの影響で盛大なお花見は無いでしょうが、酔漢が暴れ大騒ぎするようなことも少なくなるので、心静かに花を愛でることが出来そうです。とは言えやはり、早くコロナ禍がおさまり普通にお花見出来るようになってほしいものです。

大僧正行尊

 もう散りつつある地域もあるでしょうが桜の季節なので今日は大僧正行尊のお話しをします。大僧正行尊は三条天皇のひ孫にあたり天喜三年(1055年)に生まれました。園城寺(三井寺、天台宗寺門派本山)で出家し、修験の行者として高名でした。保安四年(1123年)に第四十四世天台座主に就任、天治二年(1125年)に大僧正となります。「行尊大僧正集」には各地の霊場を巡った際に詠んだ歌も見られます。  行尊の歌でもっとも有名な小倉百人一首の第六十六番「諸共に哀と思へ山桜 花より外に知人もなし」も大峰山に修行に入った時に思いがけず山桜をみて詠んだ歌とされます。思いがけずと言うのは時期的なものか地理的なものかで意見が別れていますが、「行尊大僧正集」の記載からは地理的なものと思われます。通常は桜を見かけない深い山で思いがけず山桜に出会って詠んだ歌な訳です。  山奥に人知れず咲いて散っていく桜は、たまたま修行で深山に入った行尊以外に知る人も無く、その時の行尊を知る人もまた誰もいないのですが、その情景をこの山桜以外に誰も今の自分を知らないと詠んでいます。寂しさの中に認識する者と認識される物が渾然一体となる感覚は、ものの哀れと感じさせるのと同時に、我執を離れる修行者の観点であるようにも思えます。

暴力

 法句経の第十章は暴力について説かれています。そこでは自分が殺してはいけないということと同時に、他人に殺させてはいけないと書かれています。大切なことなので二度書かれています。また荒々しい言葉を使ってはならないと言葉の暴力も禁止しています。大切なことなので二度警告されています。  だから誰かがおおっぴらに人を殺しまた殺そうとしているのなら、それを止めるべきだし、それを止めるにあたっては言葉の暴力をもってしてはならない事になります。  暴力で物事を解決しようとしても、暴力を振るわれた側には不満がたまり抵抗することでしょう。それをさらなる暴力で封じ込めれば、人々は恐怖から逆らわなくなるかも知れませんし、恐怖から暴力を振るう側になる人も出てくるでしょう。しかし、そんな社会は不自由で萎縮しており活力がありません。また恐怖から暴力で支配する人達の寝首を掻こうと狙う人も出てきます。みんなが不幸せになります。  取り返しがつかなくなる前に止めるのが慈悲と言うものです。暴力を振るう価値観も多様性よ自由よと容認してはならないのです。暴力に口を閉ざすものは暴力を助ける行為です。もちろん、抵抗できない弱さは罪ではありませんが、何か出来る人は出来ることをするべきです。

ミャンマーと分別

 仏教国ミャンマーでの軍事クーデターと住民の虐殺はとても看過出来るものではない。だが、各国政府に口先の抗議はあっても実行性のある行動は見られない。これは不道徳ではあっても各国の利益の最大化を目指す政治力学的にはありうる話だ。こういう時こそ宗教勢力は抗議の声を上げるべきだろう。実際にローマ教皇はミャンマー軍政府への批判をしているが、当事者である仏教界の声は小さい。全く嘆かわしいことだ。しかし、なぜこんなことが起きるのか?これは有名な上座部仏教の某僧侶が、この問題を語る時に政治体制としての民主主義と独裁制には良し悪しの差が無いとして何も介入しないと断言したように、分別を嫌っているからでは無いかと思われる。  仏教の基本の一つに主観による物事の区別である分別を妄想とする考えがある。これ自体は確かにそうだろう。主観による分別を除き世界をありのままに見る無分別智は悟りと同義でもある。この理屈を曲解し極端に解釈すれば、殺人も救命も暴政も善政もそれに対する価値判断も全ては我にとらわれた主観による分別によるもので妄想であると言える。前述のように上座部仏教は高名な僧から軍部の暴挙を許容しているのだし、逆に苦しむ民衆にその苦しみは自分の妄想から起きるものだとでも言うのだろうが、この仏教の基本的な思想をもってミャンマーにおける軍事政権の暴虐を許容し抗議の声をあげないのは少なくとも大乗仏教的には誤っている。主な理由は三つ。  第一に、明らかに理不尽な理由で苦しむ衆生を見捨てれば菩薩道を歩む大乗仏教の仏教者としてその存在意義が消失する。  第二に、虐殺を許容するのは無分別智の曲解だ。自利利他円満の言葉にあるように自分と他人ひいては世界を区別なく利するのが大乗仏教の理念だ。分別しないのは自他の別であり生きとしいける全てのものが幸せであるように努力するのが菩薩というものだ。自分さえ苦しみのない悟りの境地に達すれば他はどうでもいいと考えるような一部の修行者と同じであってはいけない。  第三に、可哀想だろ?人間としての常識で考えろ。あれやこれや知識ばかりに偏重して人を見なくなるからこんな当然のことがわからなくなるのだ。  しつこいけど、私は一人でもミャンマーの軍事政権に抗議する。

ツァルツァー・ナムジル

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 モンゴルの昔話にツァルツァー・ナムジルというものがあります。ツァルツァー・ナムジルという名の愚か者がお寺に住んで三年間お経を教わりましたが、全く習得できずお寺の僧にもう家に帰るように言われます。最後に一つだけでもと教えを乞うツァルツァー・ナムジルに僧はお経を教えず、帰る途中に起きる全てをよく見て覚えればそれが良い知恵となるだろうと答え、ツァルツァー・ナムジルは教えを受けることが出来ずに帰路につきます。その道中、様々な勘違いから王様の信頼を得て宝物をもらい、その後は郷里に帰って正直に幸せに生きたという話です。  ツァルツァー・ナムジルが寺を出るときに言われた自分の周囲に注意を払う行為は、仏教の八正道では正念であり今風な呼び名だとマインドフルネスと同じことだと思われます。モンゴルはチベット仏教の文化圏であり、昔話にもその影響が出ているのかも知れません。物語の最後も王様の元で栄誉栄華を極めるのではなく、故郷で正直に暮らすことを良しとするあたりがいかにも仏教説話的な昔話です。  モンゴルの昔話というと日本ではスーホの白い馬が有名ですが、あれは中国共産党に占領されたあとの南モンゴルで創作された共産主義イデオロギーのプロパガンダ目的の児童文学でありモンゴルの文化を反映したものではありません。まあ、話自体は面白いのですがモンゴル人に言わせると違和感のある内容だとのことです。そんなわけで意外と日本では認知度の低いモンゴルの昔話については以下にリンクのある「エルヒー・メルゲンと七つの太陽」がお薦めです。 エルヒー・メルゲンと七つの太陽 モンゴルのいいつたえ集 [ 塩谷茂樹 ] 価格:1760円(税込、送料無料) (2021/3/27時点) 楽天で購入

棄老国

 雑宝蔵経に棄老国という次のような話があります。老人を棄てる風習がある国で大臣の一人が父親を捨てずに密かにかくまっていました。ある日のこと、神が王様に難しいクイズを出し答えられなければ国を滅ぼすと脅してきました。誰も答えることができない中、かくまわれていた大臣の老父が次々とクイズを解いて国を滅亡の危機から救い、以後その国では老人を大切にするようになったというものです。  これは老人の経験と智慧を大切にしましょうという寓話です。うがった見方をすれば役に立たない老人ならば捨ててよいのかと言いたくなりますが、先のクイズの答えで父母や病人に親切にするのを良しとする内容のものもありそういうツッコミにも対応しています。  倫理的な話は一旦おくとして、日本には捨てられた老人が難題を解決するという類似の昔話がいくつかあり、難題の内容も仏典によるものの他、オリジナルのものや、中には古代バビロニアに起源があるとされるものなど多種多様です。  単に昔のクイズ集ではなく、なぜか窮地に立たされた老人が見事に答えを出していく話が多いのは、棄老国の話がベースとなっているからかも知れませんが、老人が活躍する話に人気があるからでもありましょう。現代でも三国志なら黄忠、日本の戦国時代なら朝倉宗滴などは熱く語られることが多いです。生老病死は世の定めですが、なるべく元気でいたいというのは人間として当たり前の願いです。それを叶える技術や知識は今後も発展していきます。しかし、個々人の健康でいたいとの願いが叶えられなくなる時は必ず訪れます。その時に心穏やかにいられる知恵は老人で無くても磨いておく必要があると思います。

メメント・モリ

  ”Memento mori”はラテン語で「死を忘れるな」という意味でキリスト教では、この世での富貴の虚しさを強調する際に使われることが多い言葉です。逆に非宗教的にはどうせ死ぬのだから精一杯この世を楽しもうとするニュアンスで使われる場合もあります。どちらにしても人生とは簡単に終わってしまうもので、時間は貴重なのです。  日本でも老少不定とはよく言われることで、高齢だろうが子供だろうが人はいつ死ぬのかわかりません。浄土真宗開祖の親鸞上人が九歳で得度した折にもこの老少不定の心を示す話があります。諸事情で親鸞の得度の式が遅れ夕方になったので、もう明日にしようとしたところわずか九歳の親鸞は天台宗の高僧慈円に対して「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と歌を詠んで抗議したと伝えられます。明日も命があると思うのは愚かなことだとして今から得度を受けさせてほしいとの希望を桜の花に例えて歌に詠んだのです。これに感じ入った慈円が夕から得度の式をあげたとされます。  もし、私が今日死んだら、後で散らかった部屋の掃除をする人が可哀想です。仕事の記録ももう少し誰が見てもわかりやすいようにまとめないと引き継ぐ人が大変です。遺産ももう少し残してあげたいところですが今日も余計なことにお金を使っています。こんなしょうもないこと以外に伝えるべき思いもあるはずですが、しょうもないことを片付けとかないと安心してかっこいいことも言えません。  ただ、なにか気の利いたことを言ってやろうと色々考えたところで頓死してしまえば無駄になります。だから今ここで死んでもいいように、日頃から無様な言動をせぬように留意したいものです。  しかし、人は今日も今日とて公私ともにやるべきことを積み上げてしまいます。口ではメメント・モリよと言ったところで、体感として明日もあると思いこんでいるからでしょう。  また、自分だけでなく、家族、友人、知人もある日突然死んでしまう場合もあります。茶道の一期一会の精神で応対したいものです。  まあ、とりあえず掃除しよう。