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人権や環境に配慮した商品

 ユニクロの作る質の良い製品が驚くほど安価で売られているのは、組織的な人権蹂躙の結果だ。それはウイグル人の奴隷労働だったり、国内でも労働関係の法令を無視した過重労働を強いているから可能なのだ。  このように血塗られた製品を購入することは倫理的に問題があるばかりで無く、十分な対価を得られない労働者の貧困に拍車をかけることにもなる。  もしユニクロが心を改め、中国のジェノサイド政策を批判して奴隷労働による綿花の使用を拒否し、従業員に十分な給料と休養を与えたなら、恐らく商品価格は上がるだろう。だが、従業員の購買力は上がる。  さらに、ユニクロだけでなく他の人道に対する罪を犯している悪徳企業が人権に配慮するようになれば、物価も上がるが人々の購買力も上がり経済には良い循環が生まれる。  人権に配慮された製品の値段はそうでないものより高額になりがちで、人権への配慮で物が買えなくなるとする貧困層からの批判もある。しかし、物の値段が不当に安いのは貧困層が薄給で過重労働を強いられているからであって、まず適正な給与の支払いをさせるように圧力をかけねば、貧困は再生産され続ける。  同様に、環境に配慮した製品も高額になりがちだが、環境から再生産出来ないレベルの収奪を行えば、後々もっと高額になる。水産業などでは特にそうだ。人権問題と違い、水産物の乱獲が問題であることに関しては人々の理解を得やすいが、それでも実際には乱獲されてしまう。ダメなことだと分かっていても目の前の利益を優先させてしまう人が多いのだろう。

女性による妊娠中絶の権利

 ある程度は予測されていたことだが、6月24日にアメリカの連邦最高裁判所が、49年前から認められていた女性の中絶の権利を違憲とした。最近、アメリカの諸州で、母体の危険が予測されようが強姦の結果できた子であろうが人工妊娠中絶を認めないとする法律が次々と成立しているが、許容出来ない。  母体の危険が予測さえる場合はもちろん、女性側からみて望まぬ妊娠であれば、少なくとも妊娠中期前半までの中絶は女性の意志によるべきだ。なお日本の法律で、妊娠22以降の中絶が不能なのは、それ以降は早産したとしても児の生存が見込めるからだ。要は堕胎が殺人になると判断される週数ということになる。  ここで問題となるのは胎児をどの時点で人間であるとみなすかだ。今回の中絶禁止の背景にはキリスト教過激派の関与がささやかれているが、例えばカトリックでは受精卵の時点で人間であるとみなす。アメリカで主流のプロテスタントは派閥が多く見解は一定していないが、中絶禁止を求めている人々も概ね受精卵を人間だと考えている。こうした見解だから全ての堕胎は汝殺すなかれとの彼らの戒に反することになる。一方で、人工妊娠中絶を許容するプロテスタントの派閥もある。また、イスラム教でも中絶に一定の猶予を認める見解も存在する。(シーア派の)イスラム法で運営されているイランには治療的人工妊娠中絶法が存在しており、中絶は絶対的禁忌ではない。イスラム法の解釈にもよるが、胎児に魂がこもるのが受精から約4ヶ月後だという説も存在する。ただ、この場合は女性の権利ではなくあくまでも母体の保護が目的とされている。  ともかく、受精卵から人間であるとみなしている人と、そうでない人の価値観の差は絶望的に大きい。様々な価値観があること自体は別によいのだが、先に言ったようにアメリカでは近年次々と絶対的な堕胎禁止法が複数の州で成立している。今回のアメリカの連邦最高裁判所が中絶に関する女性の権利を否定したのは、この流れを加速させることになる。権利があってもそれを行使しない自由はあるが、今回は権利が否定されたのであり選択の余地はなくなる。深刻な事態だ。

穢土成仏

 悲華経に穢土成仏の話がある。昔々、阿弥陀如来と釈迦如来が成仏する前のいくつもあった前世で、後に阿弥陀如来になる人が王様だった世界があり、その家臣に後に釈迦如来になる人がいた。当時の世界観では世界は時間が経つほどに汚れていくとの考えがあったが、当時はまださほど汚れが進んではおらず、お釈迦様の前世である家臣の子が成仏し宝蔵如来となった。これに感化され王様も悟りを得ようと、環境の良い仏様の浄土での成仏を願った。その王子たちもまた浄土での成仏を願うようになった。一方、家臣の他の子らは浄土ではなく汚れた現世である穢土での成仏を願った。穢土で成仏すればそこで苦しむ人々の助けになるが、環境は悪く修行は大変だ。大臣の子らは、まだ汚れがさほど進んでない状態の穢土での成仏を希望した。最後にただ一人、お釈迦様の前世である家臣は、苦しむ人々の救済の為に後々の濁りきった世界での成仏を誓われ、宝蔵如来はお釈迦様の大きな慈悲の心を讃えた。そんな話だ。  劣悪な環境である穢土での成仏は難しい。穢土で苦しむ人を救うためにあえてその難しい行に挑まれ達成したお釈迦様は偉大だ。もっとも、法華経に準拠すれば、お釈迦様はずっと昔から仏であり人間の姿は方便に過ぎないのだが、いずれにしてもお釈迦様の成仏は多くの人々を勇気づけた。  現実世界でも、苦境に打ち勝って大成した人の存在は、多くの苦しむ人の希望となる。だが、その裏には苦境に潰され散っていった膨大な数の人々がいるのを忘れてはいけない。個々人が苦境に負けないタフさを身につけるのは良いが、既に苦境から脱した力がある者は人々が妄想に囚われることなく正しく学べる環境を整えるべきだ。初めから良い環境で良い教育を受けた人達も、苦しむ人たちへの慈悲を忘れてはいけない。  

陰謀論候補

 来たる参議院選挙では陰謀論を唱える候補が多い。昔から変なことをいう候補はいたが、今回は多すぎだ。恐ろしいことに現在でも、陰謀論を唱える国会議員は存在する。今回の選挙で陰謀論議員が増えないように祈る。選挙とは良い候補選ぶのが基本だが、選挙区の候補がどれもアレな場合は最悪の選択を避けるために一票の使うのが正しい。  陰謀論候補のほとんどは当選しまい。だが、オウム真理教の真理党が選挙で惨敗した際に、彼らはそれを国家的陰謀だとの妄想を膨らませ過激なテロへ走っていった。油断は出来ない。  最近でもトランプとQアノン一派は大統領選で負けるやアメリカの議会を襲撃する暴挙に出た。狂った陰謀論者は何をしでかすか分かったものじゃない。治安当局には十分な警戒を願いたい。一般市民も日々彼らを警戒し不審な挙動があれば当局への通報を躊躇してはいけない。

大きな主語としての仏教

 一部の仏教関係者が「仏教では〜」という場合にそれが特定宗派に特有の考え方やお作法であることも多い。こうした言説は、他宗派の人からの反感を買いやすいが、各宗派とも仏教には違いはない。これは、何某宗何某派の仏教解釈を、仏教全体ではという意味に解釈するから起きる問題だと言える。その辺は不本意であっても内向きと外向きの言葉遣いは変えた方が誤解が少なくて済むだろう。  さて、では仏教ではという大きな主語を用いても許される範囲はどこまでだろうか?諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印については仏教ではと言っても問題あるまい。一切皆苦を足した四法印は、大乗仏教の常楽我浄との矛盾を指摘する意見があるものの、一般論としての一切皆苦は否定出来ないと思われる。だから、仏教ではとの主語の利用は四法印まではセーフだ。また、初転法輪で説かれたとされる四諦八正道も仏教ではと言ってよい。大乗仏教で最も有名なお経である般若心経では「無苦集滅道」との文言があり、四諦を無とみなすが、空は四諦に含まれる縁起の思想から演繹であり根本が異なる訳ではない。  では、大乗仏教の根幹である空や唯識はどうか?部派仏教からは否定されるだろう。しかし、日本で仏教ではといえば基本的に大乗仏教の事であり、日本ローカルの集まりで前後の文脈から大乗の話だと判っていれば、仏教ではと言っても良い。  それ以外の宗派的な話は、外向きには何々宗ではと注釈を入れた方が気遣いが出来ていると思う。

同性婚

 日本の地裁が同性婚を違憲としたというニュースが国内だけでなく海外でも話題になっている。  同性のカップルが婚姻出来ないために、相続や税金の面で不利になるのは確かに問題だといえる。同性婚反対派は色々と批判をしているが、社会的圧力により同性愛者がしぶしぶ異性と結婚したところで子作りには消極的だし健全な家庭運営が出来るとも思えず、同性婚を認めて不本意な異性との結婚を防ぐほうが、異性愛者にとっては有益なはずだ。個人的には同性婚制度に反対する理由は無い。  だが一方で、日本国憲法が制定された際の、両性の合意云々との文言は、家による強制ではなく二人の男女の個人の意志により結婚が成立するとの意味であるのは明白であり、同性婚は想定外であった。だから、同性婚が合憲でない場合に問題となるのは憲法側の不備であって、そう伝えた判事が悪い訳ではない。別の地方裁判所では違憲との判断もあり見解が分かれるところではあろうが、その場の雰囲気や流れで人間が勝手に解釈を変えていい法律なんて法律の体をなしていない。同性婚を確実に合憲にしたいのならば改憲するべきだ。九条に関しても自衛権が問題ないのは元ネタとなった国際連盟の理念からして当然であるが誤解を招きやすい。日本国憲法はそろそろ変えた方がいいのかも知れない。  さて、世界的にみても今回の日本の司法判断に対しては、概ね前時代的だとの批判が多いが、イスラム圏ではこの司法判断を歓迎する声が大きい。イスラム教では同性愛は禁止されているので当然と言えば当然だ。同性愛が禁止されているのはカトリックでも同様だ。結婚式を教会であげた人も多いだろうが、実は、神に祝福されて結婚した男女が作る家族は神の愛を地上に顕現させる使命を帯びている。彼らにとって結婚とは神聖で特別なものだ。彼らの価値基準では、同性愛者のペアが「結婚」するなど神への冒涜に等しい事になる。  このように、同性婚をしたい人達と反対する人達の溝は深い。だが、一神教の信仰に基づく同性婚の否定だけならば、妥協の余地はある。同性のパートナーが共同生活をするにあたり、結婚と同様の法的権利を認めてそれを「結婚」という名詞では呼ばなければ済むことだ。そもそも同性婚をしたい人達の中で神からの祝福を受けたい人はそう多くはあるまい。単なる名称の問題ならばこの辺が落とし所ではないだろうか?

SDGs ゴール17 パートナーシップで目標を達成しよう(後編)

中編 からの続き  ターゲット17.13は「 政策協調や政策の首尾一貫性などを通じて、世界的なマクロ経済の安定を促進する 」だ。新型コロナウイルスの流行により経済に混乱が生じた時に、各国は金融緩和などで対応をした例などがある。一方で、戦争で経済的な混乱を引き起こす独裁国もありどう対処していくかは今後の課題だろう。  ターゲット17.14は「 持続可能な開発のための政策の一貫性を強化する 」だ。持続可能な開発は様々な分野が協調してこそ可能となる。    ターゲット17.15は「 貧困撲滅と持続可能な開発のための政策の確立・実施にあたっては、各国の政策空間及びリーダーシップを尊重する 」だ。開発途上国への支援でありがちなのは、支援を通じてその国を牛耳ってしまうことを目指したかのような例も散見される。過剰融資によって国中を債務漬けにする手法はしばしば問題視されている。  ターゲット17.16は「 全ての国々、特に開発途上国での持続可能な開発目標の達成を支援すべく、知識、専門的知見、技術及び資金源を動員、共有するマルチステークホルダー・パートナーシップによって補完しつつ、持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップを強化する 」だ。環境問題や人権問題は国境を超えた問題であり、そうした問題に対処する能力に乏しい国には支援が必要だ。  ターゲット17.17は「 さまざまなパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する 」だ。日本ではネオリベラリストらの跋扈により、すっかり公務員は悪と無駄の象徴にされてしまったが、利害に縛られずやるべきことをやる公正さは営利企業には維持し難く、格差の是正の面でも重要な役目を果たしている。経済の主役である民間企業との協調は必要不可欠だが、公務員が営利企業の真似事をしても意味はない。  ターゲット17.18は「 後発開発途上国及び小島嶼開発途上国を含む開発途上国に対する能力構築支援を強化し、所得、性別、年齢、人種、民族、居住資格、障害、地理的位置及びその他各国事情に関連する特性別の質が高く、タイムリーかつ信頼性のある非集計型データの入手可能性を向上させる 」だ。  データは集計されてしまうと実態を反映しないこともある。例えば、とある草野球チームの平均年収は、チームにビ...