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狂雲集より2

 今日は、有名な一休禅師の漢詩集である狂雲集から、次の七言絶句を見ていきましょう。 忍辱仙人常不輕 道心須是盡凡情 恁麼白浄真衲子 可勤觀法又看經 現代語訳: 忍辱仙人や常不軽菩薩にとっての仏道の心とは当然煩悩を滅し尽くすことだった。 このような清らかな法衣(この場合は煩悩の無い心)をまとってこそ、座禅したり経を読む事が出来る。  この句の意味するところは、心が欲望や怒りに取り憑かれた状態で座禅したりお経を唱えても意味をなさない。高度な教学や修行よりもまず、自らの心を整えるべきであると味わえます。  似たような話はチベット密教の教えにも見られます。普通の人々の興味を引く華美で呪術的にもみえる儀式なども前段階と成る心の修行が完成していないと意味がないとされます。結局の所、仏道の基本は自分の心と向き合う事なのです。大乗仏教的にも、まず自分がしっかりしていないと、他者を助けることも出来ません。お釈迦様も極端な快楽主義も苦行も意味がないと分かった上で瞑想された結果、悟りをひらかれたのです。  不穏で余裕が無い社会情勢の昨今、自分自身の心をまず落ち着けて乗り切って参りましょう。  さて、この第一句に出てくる忍辱仙人と常不軽菩薩ですが、ともにお釈迦様が前世で修行していた際の姿とされます。簡単にお話しておきます。  忍辱仙人は、六波羅蜜の話の時に説明した忍辱の行をつんでいた仙人です。ある日、王様の誤解を受け、手足や耳鼻を削ぎ落とされますが忍辱を続けて、王様を改心させるに至りました。あくまでも伝説です。真似したら死ぬので、皆さんがこのような状況になった時は、ちゃんと逃げましょう。  常不軽菩薩は法華経に出てくる菩薩です。常不軽菩薩は、全ての人を仏になる素養をもつ者として尊敬し、またその事をみんなに伝えていました。しかし、言われた方は馬鹿にしているのかと怒り、菩薩は誹謗中傷を受けたり暴力を振るわれたりしました。そんな苦難にあっても全ての人を尊敬し続けた常不軽菩薩はやがて仏になるのでした。宮沢賢治の有名な詩である「雨ニモマケズ」は賢治がこの菩薩の様にありたいと願い作られた詩と言われます。自分と意見が違う人に対しても怒らず冷静に対応する姿勢は大切ですね。

アメリカのWHO脱退?と新型コロナウイルス対策

 アメリカのトランプ大統領が5月29日の会見でアメリカのWHOからの脱退を示唆しました。本日は、この件に関して今後の新型コロナウイルス対策がどうなるのかを考えていきます。  今回の新型コロナウイルス感染症が蔓延した原因の一つは、WHOの対応の遅さにあったことは否めない事実です。これがテドロスWHO事務局長による中国への政治的配慮に起因するのではないかとの見方もあり、WHOの意思決定機関である世界保健総会(WHA)では今回の感染拡大に関しての独立した調査も計画されています。また、現在のところ世界で最も感染の封じ込めに成功している台湾を直近のWHO総会に招かない決定をしたWHO事務局が、中国共産党の意思を代弁しているのは間違いありません。もはやWHO事務局が世界の人々の健康と命を第一に考えていないのは明白であり、公平さも自浄作用も無いこんな組織は潰してしまえという世論は心情的には理解できます。  さて、それではアメリがWHOから脱退して、新たな世界的保険機関を結成すれば問題は解決するのかと言えば、実のところそう単純な話ではありません。  問題のまず第一は、自前の医療体制が脆弱な貧困国では、アメリカの脱退に伴うWHOの資金不足とその活動の低下により深刻な衛生上の被害が生じると予測されることです。  第二に、中国の情報がより見えにくくなるという問題があります。ただでさえ正確な情報がつかみにくい中国ですが、WHOという窓口が無くなると更に分かりにくくなります。今後また中国で感染爆発が起きた時に、世界がそれに気づくのが遅くなってしまう可能性もあります。  第三に、出費の問題です。新たな枠組みを作るのは既存のシステムを使うより高額になります。また、もしある国がWHOにもアメリカの新保険機関にも参加するのならば、余計な出費が増加することになります。  第四に、WHOは今回もこれまでも失敗はありましたが、なんだかんだで天然痘やポリオの撲滅に貢献しており、コレラや結核やエボラ出血熱などの対策も行ってきました。こうした経験豊富な枠組みが消滅するのは世界的な保健や防疫上の大問題です。  トランプ大統領の強硬姿勢によりWHO側が折れて改革してくれるか、アメリカ主導の新組織にWHOの現場でのシステムをそのまま移植するように取り計らうかしないと、色々と混乱が尾を引きそうです。

難民キャンプとコロナウイルス

 国連難民高等弁務官事務所が、ロヒンギャ難民キャンプにおけるCOVID-19の流行を抑えるべく各国に支援を求めているとの報道がありました。  不潔で大人数が密集していて医療設備に乏しい難民キャンプは新型コロナウイルス感染症だけでなく、あらゆる感染症にとって高リスクな場所です。特に難民は時には密入国をしてでも移動しようとすることもあり、ここでの感染拡大は周辺諸国にも潜在的な脅威となります。  主にバングラデシュにいるロヒンギャ難民は、ミャンマーでの宗教的な対立も難民化の原因の一つであり、どうか仏教徒として慈悲のある対応をミャンマー政府にお願いしたいものです。  ロヒンギャ難民キャンプだけではなく、中国が運営するウイグル人強制収容所や、中東のなど紛争地域の難民、ブラジルで感染爆発している貧民街など、政治的な理由で感染が広がりやすい環境での居住を余儀なくされている多くの人々も危険にさらされているのです。  それぞれ言い分もあるでしょうが、思いやりの心が世界に満たされるようにと祈ります。  真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

チベット文化圏で軍事的緊張が高まっている件

 各種報道にあるように、インド北西部ラダック地方に中国軍の侵入がありインド軍との間に緊張が高まっています。  ラダックはチベットの文化圏であり、中国に占領されているチベット本土と比べて、チベット仏教文化がよく保たれている地域です。  今回の緊張は、中印国境付近のインドの道路建設を阻止しようとする中国軍の介入と見られますが、中国軍は既に4月下旬よりラダック周辺のパンゴン湖、ギャロワン川、デムチョクと、インド北東部のナック・ラと、その東のチベット文化圏の国ブータンのドクラム地方にも浸透が開始されていたと伝えられています。つまり現在、インド東西のチベット文化圏が軍事的緊張にさらされている形となっているのです。  ラダックは、地理的にはインドと対立関係にあるパキスタンとの係争地であるカシミール地方に位置します。パキスタンは核兵器開発や軍事面で中国から支援を受けており、中国、インド、パキスタンの国境が重なるこの地は戦略的な要衝でもあります。  かねてより係争地での軍事的緊張であり、本格的な戦火拡大が無いように祈るばかりです。

誹謗中傷と観音経

 有名な観音経の中に  呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人  という文言があります。  現代語訳では、呪詛や毒薬でその身が害されそうな者が観音菩薩の力を念じれば、その毒や呪いは加害者に帰る、という意味です。呪詛や毒薬が我が身にふりかかる事は現代社会ではあまりないですが、呪詛は現代技術を使った攻撃者の姿が見えないネットいじめと同義と言えます。SF作家のアーサー・C・クラークでは無いですが、進歩しすぎた科学は魔術と見分けがつかないのです。  さて、この観音経の文言には違う解釈もありますが、上記のものが一般的です。上記の解釈が正しかったとしても観音菩薩の力を復讐に使っている感があり仏教者としてはいかがなものかとの批判もあります。  そういう批判もありますが、あえて言いましょう、これで良いんです。それはなぜかをお話していきましょう。  まずもって仏教的な因果応報の思想では、他人に嫌がらせをした人にはその報いが生じるものです。これは被害者が復讐しなくても、観音様に祈ろうが祈るまいが既に決まっている事なのです。むしろ、嫌がらせに対して、被害者が受けたのと同じ手段で加害者に反撃すれば、被害者が放った呪いもやがて自分に帰ってきます。これは無抵抗であるべきだと言っているのではありません。正統な反論や法的手段に訴えることはするべきです。不正に対して全く抵抗せずにいれば、やがて相手の放った呪いに犯され、精神を病んだり、ひどい場合には命も失います。観音様への祈りは、その苦しい時期を乗り切る心の支えとなるのです。  とはいえ観音経には、観音菩薩の力を念じることで、様々な物理的危険を免れると説いており、現代人からみたらそんな馬鹿な!と思う人の方が多いでしょう。確かにそうなのかも知れません。しかし、本当にどうしようもない危険にされされた時に、とにかく観音菩薩に一心に祈ることで落ち着きを取り戻せたら、新たな打開策も思い浮かぶかも知れません。もちろん、無駄に終わることもあるでしょうが、一心に祈ることで恐怖や絶望は遠のきます。観音経は万策尽きた人間にずっと救いを差し伸べてきたお経なのです。  ネットいじめにあっている人は、少し休んで一心に観音様に祈ってみると良いです。きっと不条理に立ち向かう勇気も湧いてきます。南無観世音菩薩。

長崎の仏教文化

 長崎(主に長崎市)は一種独特な仏教文化あります。例えば長崎人以外にお墓の土神様と言っても理解されないでしょう。土神様は墓地の守護神で、お墓の脇に朱書きで土神と書かれている小さな石碑があるのが長崎では普通です。お墓本体の表面に彫られた字は金色に装飾されます。お墓用のお線香も竹線香と呼ばれる独特の煙の強い線香が使われます。また、お盆には各自のお墓で爆竹が鳴り響きます。お盆の送り火に相当する精霊流しも舟を模した山車のような物を曳いてドラが打ち鳴らされ、爆竹や花火がバンバン使われド派手に送り出されます。  これらの独特な風習は、鎖国時代に明〜清朝の文化が流入して形成されたと伝えられていますが、日本の他の地域と比べて明らかに異質な文化が容易に吸収されたのには、それに至るまでの素地もありました。実は、長崎の仏教や神道の文化は鎖国化の少し前の時代に一度完全に破壊されていたのです。  天正2年(1574年)、現在の長崎はキリシタン大名の大村純忠の支配下にありました。この年の11月1日、イエスズ会の宣教師ガスパール・コエリョは大村純忠にある勧告を行いました。その結果、大村家の領地内の全住民にキリシタンへ改宗するように布告され、従えぬ者は追放される事となりました。領内の寺社も教会に変えぬ限りは破却されることとなったのです。その時の様子は、「郷村記」と呼ばれる書に残されており、領内のキリスト教徒により寺社仏閣が焼滅され、居住の僧侶が殺害され、すでに領外に逃げようとしていた僧侶もキリシタンに捕まり切り刻まれて便所に捨てられたと伝えられています。大村家の先祖の墓も破壊され遺骨は川に捨てられてしまうほどの徹底ぶりでした。この事件は有名なルイス・フロイスの「日本史」にも残されており、司祭の説教を聞き終えたキリシタンが寺院を完全に破壊するさまを伝えています。  こうして長崎の仏教文化は一度完全に途絶してしまうのです。長崎市の隣の諫早市は大村家の支配地ではなかった為、古い寺社も残っていますし、現在の長崎市でも大村家の支配地ではなかった地域では奈良時代から続くと伝わるお寺も残っていますが、天正2年に破壊された旧長崎地域では、慶長3年(1598年)に長崎郊外に建立された悟真寺が最も古いお寺となっています。悟真寺創建当時、旧長崎にはこのお寺しかなかった為、明国の商人らはこの寺を長崎での菩提寺としていまし...

新型コロナウイルスのワクチン開発についての所感

 新型コロナウイルスのワクチンの開発が、世界各地の様々な企業や大学で急速に進められています。有効なワクチンが開発されれば、感染の拡大を防ぎ経済活動も十全に再開できます。世界中で需要のあるワクチンは、単に公衆衛生に資するのみでなく、いち早く開発すれば莫大な利益を上げることが出来るので、どこ組織も開発を急いでいます。既に臨床試験に入ったところもあり、その速さには驚かされます。  さて、急ぐのはもちろん良いことなのですが、利益を狙って発売までの早さだけに目を奪われると、副作用のチェックが十分に出来るかの心配の他に、本当に効果がある物ができるのかが心配です。  このうち、副作用のチェックに関しては治験被験者の数を増やせばどうにかなると思われますが、効果に関しては、たとえ抗体の産生が確認されたとしても、果たしてどの程度の抗体価があれば免疫獲得と言えるのか?また、免疫が出来たとしてどの程度持続するものなのかは、継続的な観察が必要です。  さらに、地域での感染が一旦おちついた状態となってしまうと、ワクチンを接種した人とそうでない人の群を比較して実際に効果があったのかを判定するのは難しくなってしまい、次の感染拡大の波がくるまで真の効果の有無は分からないという事態も発生しえます。  さて、そうなった場合、効果があるかどうか確定していないワクチンを大量生産して予防的に接種させるのでしょうか?単に臨床医の立場としては、効果があるか無いか分からないワクチンをつかうなんて通常はありえまえせん。しかし、非常事態においては政治的な決断でワクチン接種が行われる可能性もあります。副作用が十分に少なさそうなら、そのような判断もありです。ただ、そうした場合、一体どこが開発したワクチンを使うのかも問題となります。同程度に効果の有無が分からないのであれば、なるべく開発元を分散させた方が良いとも思えますが、今後の治験データを元に総合的に判断されるものと思われます。  ワクチンの開発には期待がかかりますが、実のところ、本当に効果があったのかはワクチンの集団接種後に訪れる感染拡大まで分からない可能性が高いです。ワクチンが出来ても油断せずに感染防御に努めるのが無難でしょう。