投稿

疫病退散を祈って十句観音経を唱和

十句觀音経 觀世音 南無佛 與佛有因 與佛有縁 佛法僧縁 常樂我淨 朝念觀世音 暮念觀世音 念念從心起 念念不離心  十句観音経は南宋の頃に作られた衆生を救う観音菩薩を称える短いお経です。巨大な脅威に対してやるべき努力をやり尽くして、時間が余って不安な人もいるかも知れません。そんな時に短いお経を繰り返し唱えたり写経すると落ち着くものです。お試しください。  言いたいことは山程ありますが私ももう腹をくくりました。やれることをやるしかありません。是非もなしです。その上で、一人でも多くの人が助かるように、そして亡くなった人には冥福を、ともに祈ります。  それではまた、合掌。

四諦八正道、その4

 四諦八正道、その4は道諦です。これは先の苦諦でこの世の一切は苦だと受けとめ、その苦を滅するためには煩悩を滅すれば良いということが集諦と滅諦で示され、では具体的にどのようにすれば煩悩を滅して悟りをひらけるのか(涅槃に入れるのか)を示したものです。八つの正しい道、八正道を修めることでそれは実現されるとされます。順にみていきましょう。  一つ目は正見です。物事を極端によらずに中立の視点で、この世の一切は苦であること観て、縁起の法を観て、この世は無常で我というものは存在しないと観れば、世間一般の喜びや貪りもただ空しいものにすぎず執着を離れた智慧のあるものの見方ができるようになります。正見は一つ目の八正道ですが、実はこれがゴールです。続く七つは最終的にこれを補強するものとなります。  二つ目は正思惟です。正しく物を見る事は欲望にとらわれてた偏った立場にあっては出来ません。貪りや渇望や性欲から離れなくてはなりません。また怒りをもってもいけません。暴力を振るうなどもってのほかです。こういう事から離れた正しい考え方をしなくてはいけません。  三つ目は正語です。嘘や誰かを仲違いせせようとする言葉や荒い言葉遣いや無駄に飾り立てた言葉を避ける事です。人は言葉につられて考えや物の見方が変わるものです。言葉づかい一つで他人を傷つけることもあり注意が必要です。  四つ目は正業です。これは悪いことをしないという意味です。生き物を殺したり、物を盗んだり、性行為をすることは禁止されます。  五つ目は正命です。正しいなりわいで生きていく事です。出家僧としては物乞い(托鉢・乞食行)をして生き、しかも必要以上に貰わない事です。なお、在家信者はこうした托鉢をする僧に布施をすることで功徳を積むことが出来ます。  六つ目は正精進です。六波羅蜜でも出てきましたが正しい努力です。善い事をして悪いことをせず、既に起きている悪を絶ち、既に起きている善を育てる努力です。  七つ目は正念です。これはまず肉体とは汚れたものであると観て、この世の一切は苦であると観て、心が無常であることを観て、この世のいかなる物事も自分自身と呼べるものはないと観て、これらに注意をしつつ、これらを取り巻く内外の環境に気づいた瞑想状態を指します。瞑想しながら評価を加えずに現在の状態、例えばただ肉体が呼吸をしていることに...

外出の自粛について。

 新型コロナウイルス感染症の拡大もいよいよ本格化してきており、外出の自粛が各自治体から要求されています。自分の身を守るためにも、家族を守るためにも、社会のためにも必要以外の外出は控えましょう。  自粛をお願いしても一定数は従わないの人がいるので、国から命令した方が良いのではないかと思いますし、経済的な対策も急がないといけませんが遺憾ながら政府の対応は遅く不十分という印象を抱かざるをえません。事態はかなり切迫しており大変心配です。  さて、政府に多少文句を言ってしまったからではありませんが、本日は鎌倉幕府に度々忠告をしていた日蓮上人にあやかって、そのお言葉を一つ。 「御酒盛り、夜は一向に止め給え。只、女房と酒うち飲んでなで御不足あるべき。」  これは、有名な日蓮宗信徒の四条金吾にあてた、上人からの注意です。命を狙われていた金吾に夜の酒宴の参加をやめるように勧め、自宅で妻と酒を飲んで何の不足があるかと諭されました。  危険をおかして遊びに出かける事なく、家で家族を大切にしましょう。  それではまた、合掌。

四諦八正道、その3

 四諦八正道の3回目、集諦と滅諦です。前回、お話したように初期仏教ではこの世のすべて苦です。それからどうやって逃れるのかが次の問題となります。大雑把に言うと集諦では苦の原因を探りそれが煩悩(無知・無明)であることを解き明かし、滅諦では原因である煩悩を消せば苦も消えるという事実の述べています。お釈迦様は原因があれば結果があるという因縁・縁起について悟ったとされていますが、集諦と滅諦はこの縁起の法に基づいて組み立てられた話です。  さて、ではその縁起について解説しましょう。仏教では一般的に十二支縁起と呼ばれる、十二の要素が次々原因と結果として繋がり、無明から老死に至る苦を形成するという考え方があります。実のところお釈迦様が悟った縁起の法が本当に十二の要素に分類されていたのか、もう少し少なかったのかは分かっていませんが、今回は十二支縁起の話をします。  十二支縁起自体が有名な話なのでご存じの方も多いかとは思いますが、この縁起の法の解説を聞いた時に、話し手によって解釈が必ずしも一定しないとか、あるいはつながりがよくわからないとかいうことはよくあると思います。実際に解釈の幅は広いです。話の前に先に構成要素を書き出して行きましょう。漢字の仏教用語で書かれてもわかりにくいですが、まずは名称ですのでご容赦を、あとでそれぞれ解説を加えます。以下の通りです。 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死、 無明があるから行があり、行があるから識があり、、、とつながっていって生があるから老死があるとなり、無明がなければ行がなく、、、老死も無い、となります。  ここでまず気になるのは最後の生と老死です。これをいま私達が生まれて結果として老いて死ぬ状態の事だと考えてしまうと、生まれる以前の事に干渉不能な私達は、生以前の原因を滅することが出来ず苦もまた消えません。実際に、生まれた以上は老死は避けがたいわけですからね。ではどう解釈すべきなのか、仏教はもともと輪廻転生の考え方がありますので、この生と死は来世の話と考えて、老死のあとはまた無明につながり十二の要素がぐるぐる回って輪廻転生して苦しみ続けるという解釈もあります。この場合は無明は過去世のものですが、ぐるぐる回っている状態ですので、現世の生老死は過去世からみた来世ですし、現世の無明は来世からみたら前世の事で、来世...

行動制限と臨終の場

 新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、様々な場所で社会的な行動制限が始まっています。  病院も例外ではなく、新型肺炎でない一般の入院患者様への面会も一律に制限をしている所が多いです。こうした中でも人は色んな理由でお亡くなりになります。大切な家族や友人の最期を十分に看取ることが出来ない事は、先立つ人にも残される人にも辛いことです。  今では人が死ぬ場所のほとんどが病院ですが、昔は自宅で死ぬ人の方が圧倒的に多かったです。しかし、徐々に病院で死ぬ人が増加していって自宅で死ぬ人の数を上回ったのは1976年の事でした。つまり、いま高齢で死期に差し掛かっている人が若かった頃は、死とは自宅で迎えるのが通常だったのです。  実際に、帰宅すれば命が危ない状態でも多くのご老人は家に帰りたがります。家で死ぬのが常識だった記憶がある高齢者と、病院で死ぬのが常識である若年から中年の人では、その感じ方も違うことでしょう。  核家族化が進み、福祉関連の予算も制限がかかる昨今、自宅で最期を迎えたい人達の希望をかなえるのはなかなかに難しいものがあります。しかし、今回のような状態をみると、人間の最後の願いはなるべくかなえたいと考えさせられます。  もちろん、伝染病の患者様は遺憾ながら隔離が必要です。日頃から家族や友人を大切にするのも忘れてはいけません。  それではまた、合掌。

四諦八正道、その2

 四諦八正道のその2です。今回は、その1でお話しした代表的な大乗仏教の経典である般若経が否定した四諦、すなわち苦諦、集諦、滅諦、道諦のうちの苦諦について説明します。  苦諦は簡単に言うと、この世の一切が苦しみであると言う初期仏教における真理です。仏教が向き合ってきた生まれ老い病んで死ぬ、生老病死の四つの苦しみ(四苦)と、好きな人や物と必ず別れなければいけない苦しみ(愛別離苦)、嫌いな人や物と接しなければならない苦しみ(怨憎会苦)、欲しい物が手に入れられず(求不得苦)、肉体と心を持つ事による避けられない苦しみ(五蘊盛苦)、この四つも併せて四苦八苦とされるのは有名なところです。  これは苦しみの種類を単に分類した物では無く、この世の全てが苦であることを説いているのです。以前、仏教の定義を説明した時にお話した三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)がありましたが、それにこの世界は苦しみしかないという見解(一切皆苦)を足したものを四法印とすることがあるほど、この考え方は仏教において一般的なのです。  この苦に対して仏教はどのように立ち向かい克服するのでしょうか?それは残りの集諦、滅諦、道諦まで話さなくてはなりませんが、極めて簡単に言うと、これらの苦の原因は無知や怒りや貪りなどの煩悩にありこれを滅すれば苦もまた消えると言う考え方です。  さて、では日本の仏教を見た場合、この一切皆苦の考え方は浸透しているでしょうか?一部の人には定着していると思いますが、一般的な在家信者にこういった発想はあまりないように見受けられます。  上記の八苦の一つ愛別離苦について考えてみましょう。確かに、愛している人と別れるのは辛いものです。夫婦や親子や友人などケンカ別れすることもあるでしょうが、どんなに良い関係でもいつか死に別れる事は避けられません。死を前にして、それを嘆き悲しみ泣き叫ぶ人もいることでしょう。ですが、多くの日本文化を継承している人達は、どのように死ぬのが理想と考えているでしょうか?もちろん、価値観は多様であり一概には言えまえんが、愛すべき人達に礼をいって穏やかに最期を迎えたいと希望される人が多いように思えます。  この和風な別れの風景では苦は前面に無く、むしろ縁のあった人達との和の完成であり優しさに満ちています。また、実際には内面に苦はあっても、日本の伝統的文化的...

世界の混乱に対して思う。

 いま、新型コロナウイルス感染症の拡大により、世界各地で医療崩壊がおこっています。日本は今の所はまだ持ちこたえていますが、今後も感染爆発が起きない保証はありません。持病を抱える患者様たちの間にも不安が強まっています。  医療面でなく経済面でも世界的な大混乱を来しており、これよる死者も含めた被害も悲しい事です。  また、想像したく無いことですが、歴史を振り返れば政治経済の混乱が戦争につながることも少なくはありません。  こんな時だからこそ、仏教者として菩薩行にはげんでまいりましょう。  世界が慈悲で満たされますように、南無佛。合掌。