我執や法執がなければ煩悩もないだろうけど
唐の時代の高名な詩人である白居易が道林禅師に仏教の真髄を尋ねたとき、禅師が「善いことをして悪いことをしないことだ」と返事をしたところ、「そんなことは三歳児にもわかる」と言った白居易に禅師は「三歳児に分かることが八十の老人にも実践しがたい」と指摘された話は、小生の好きな仏教系の逸話の一つです。
同様に絶対不変の自分や物事など無いと分かっていても、それがあると誤った考えをつい信じてしまい、自分や物事に執着(我執・法執)して怒りや貪りを生じていくのは人間の常です。植木等が言っていたように分かっちゃいるけどやめられないのです。
世の中どうやれば良いのかが分かっていても、その通りに実行できることなんて本当にわずかです。その不出来さを嘆き結果に執着してしまうのも絶対不変の理想的な状態があると信じている事になり、広義には法執といえるかと思います。
なんにせよ、執着から生まれる怒りや貪りは容易に人の判断を狂わせより悪い事態を招く元となります。特に怒れる時はまず落ち着くべきです。自分に喫茶去!と呼びかけるのもいいかも知れません。
コメント
コメントを投稿