直心是道場 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 04, 2020 久々に禅語です。禅語というか、聖徳太子の回にもお話した維摩経に出てくる言葉で、真っ直ぐな心が道場であるという意味です。俗世から離れた特別な場所で瞑想しなくても、日々の生活で人の役に立ち、強い心をもって、かたよらない物の見かたをしていくことによって、俗世で生きているその心に悟りを目指す道場と呼べる物があるのです。 色々と大変ですが本日も生きて参りましょう。 それではまた、合掌。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
七生報国と仏教 2月 03, 2021 仏教に語源を持つ長い時間を示す言葉として七生というものがあります。七生とは本来は七回生まれ変わるという意味です。親子の縁を切る勘当の時に七生に渡り勘当するというのは、今生だけでなく生まれ変わっても縁を持ちたくないという強い勘気の表れなのです。 七生報国も何度生まれ変わっても国の為に尽くすという意味で戦時中によく使われていた言葉です。その語源は鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍した信心深い名将の楠木正成の逸話です。七回生まれ変わってもという意味から転じて永遠にというニュアンスで使われることも多い七生ですが、楠木正成の話では永遠にと言うよりはきっちり七回の転生という意味だったようです。 楠木正成は湊川の戦いで敗北し自決する前に、弟の正季に転生するならば九界(※)のうちどこが良いかを尋ねると正季は七回とも人間に生まれて朝敵を討つと答えたとされます。この事から七生滅賊という言葉が生まれ、近世になって七生報国に変わっていったといわれます。 部派仏教では修行の進展具合を八つの段階に分けており、その最初歩である預流向の状態でも七回転生すれば次は成仏出来るとされていました。もう一つ上の段階の預流果では地獄と畜生界と餓鬼界には転生しなくなると言われます。上記の話では、七回の転生を誓い転生先の候補に地獄も含まれている事から、正成兄弟が預流向ならばこの条件での転生は可能ということになります。しかし、彼らが預流向だと自覚してこのような発言をしたのでは無いと思われます。当時の日本の仏教では死後そのまま成仏するという考えは普通にあった訳ですから、信心深い彼らが七回転生するという数を区切ってきたのは、自分たちが人として転生可能な最大回数を願ったとみるべきでしょう。湊川の戦いから700年近く経過しており正成兄弟が成仏出来ている様に祈ります。 人間としては長い七生ですが、仏教の話でよく出てくる劫などと比べれば一瞬のような短時間です。人として存在する貴重な時間を大事にしていきたいものです。 (※)九界は有名な地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道に声聞、縁覚、菩薩の三界を加えたものです。これに仏界を足して十界とします。 続きを読む
浄土真宗本願寺派の不祥事 9月 18, 2022 このところ浄土真宗本願寺派の不祥事が目立つ。全国の幼稚園の団体での本願寺派住職よる6億円以上の巨額横領事件、本願寺派と懇意にしている芸能人やアナウンサーなどによるロシアの侵略擁護発言、直近では本願寺派の若手僧侶の動画が炎上した。 動画に関しては真宗の教義に照らしてもその発言内容はいかがなものかと思い質問したのだが、本人がそういう意図ではなかったと言っており、本願寺派の僧侶や門信徒もあまり問題視していない。現在は動画内のふざけた行為(本人はその意図はないと釈明)が主に他宗派から糾弾されている形だ。この炎上の一因として考えられるのは、本人は後で反省したような事を言っているが、当初の批判にはかなり挑戦的攻撃的に反論していたのも火に油を注ぐ形となったように見受けられる。 また、不祥事ではないが、教義面においても2018年に発表された自力の行を認めるかのような門首のお言葉にも動揺が広がった。この教義解釈の変更は他宗派への歩み寄りのようにも見えるが、軸がぶれている感は否めない。若手僧侶に影響がなかったと言えば嘘になるだろう。 では本願寺派はどうしようもないダメ宗派かというと一概にそうとも言えない。少なくとも浄土真宗も浄土教の基本的なフォーマットは保っており、他宗派の一部の人から言われる浄土真宗は仏教にあらずとの批判は正しくないと考える。むしろ浄土を絶対視し、それ以外のこの世を徹底的に穢らわしいと見る発想は、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、を他宗派よりも強く念じているようにすらみえる。戒律が存在しないのも叩かれる材料ではあるが、御恩報謝の思いで仏を念じていけば、自ら意図せずに戒を守るように成長する。常に強く仏を念じながら人を殺したり嘘をついたり物を盗もうとする人はいないし、心も穏やかになろう。問題はそれを実践できている僧侶や門徒が少ない事だが、理念的には浄土真宗本願寺派は仏教の一宗派としていいだろう。伝統ある宗派だけにその良さが活かせてないのは残念だ。 本願寺派の僧侶にも色んな人がおり、もちろんいい人が多いのだが、顔見知りなだけでも結構な変わり者(失礼)も散見される。過去には本願寺派系の病院で他宗派の患者を精神的に追い込んで本願寺派に改宗される僧侶がいたがあれは本当にダメだ(今もやっているのかは知らないけど)。西本願寺の本体が所属僧侶の個人的信条に介入することは... 続きを読む
桃花より青松を好む 3月 03, 2022 聖徳太子が三歳の時の逸話です。三月三日に桃の花を愛でながら、聖徳太子の父君である用明天皇が御子に「桃と松のどちらを好むか?」とお尋ねになりました。太子は「桃は一旦のさかえ、松は千年のかがやき」とお答えになり松を選ばれたと言われます。 このお話の桃の花はこの世の諸行無常を、色が変わらぬ常緑樹の松は悟りである真如を象徴しています。 三月三日は現代ではひな祭りですが、古代の日本では女児のためのお祭ではなく、厄祓いの日でした。桃は伊邪那岐尊が黄泉の国から脱出する際にも魔除けの役割を果たしており、この日にピッタリの花と言えるでしょう。そんな日にわざわざ松の方を好むという三歳児は只者ではありません。 和国の教主として人々の幸せを願われた聖徳太子は救世観音菩薩の化身であったとも言われます。何かと悲しいことが多い世の中ですが、聖徳太子以来受け継がれてきた教えを守り和を尊ぶ世界の実現を目指したいものです。 続きを読む
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