桃花より青松を好む

 聖徳太子が三歳の時の逸話です。三月三日に桃の花を愛でながら、聖徳太子の父君である用明天皇が御子に「桃と松のどちらを好むか?」とお尋ねになりました。太子は「桃は一旦のさかえ、松は千年のかがやき」とお答えになり松を選ばれたと言われます。

 このお話の桃の花はこの世の諸行無常を、色が変わらぬ常緑樹の松は悟りである真如を象徴しています。

 三月三日は現代ではひな祭りですが、古代の日本では女児のためのお祭ではなく、厄祓いの日でした。桃は伊邪那岐尊が黄泉の国から脱出する際にも魔除けの役割を果たしており、この日にピッタリの花と言えるでしょう。そんな日にわざわざ松の方を好むという三歳児は只者ではありません。

 和国の教主として人々の幸せを願われた聖徳太子は救世観音菩薩の化身であったとも言われます。何かと悲しいことが多い世の中ですが、聖徳太子以来受け継がれてきた教えを守り和を尊ぶ世界の実現を目指したいものです。

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