ビハーラ医療に活かす六波羅蜜、その1
先日、布施の話をしましたが、これは大乗仏教の信者が悟りをひらくために行う六つの徳目である六波羅蜜という修行の一つにもなります。ちなみに、浄土真宗では悟りをひらく為に自分の力をもって行う修行は全部否定しています。しかし、阿弥陀如来の本願力にあえば自然にこういった良い行為をするようになるとしており、西本願寺が出版している子供向けの発行物にも六波羅蜜の説明は入っているくらいなので、真宗の門徒さんも自力で行わなければ問題ないでしょう。
さて、六波羅蜜を1回で全部説明するには長すぎますし、有名な話なのでご存じの方も多いでしょうから、ここでは持戒について説明した後、それをビハーラ医療にどう活かすかという視点から六波羅蜜を見ていきたいと思います。
六波羅蜜一つ目の布施は以前の記事「介護に役立つ仏教の言葉2」を見てもらうこととして、今回は二つ目の持戒の話をします。
持戒とは大乗仏教の禁止事項をまもることです。出家の僧には多くの戒がありますが、在家信者がまもるべき戒は一般的には次の五つになり五戒と呼ばれます。
1.殺さない
2.盗まない
3.よこしまな性行為をしない
4.嘘をつかない
5.お酒を飲まない
特別な斎日にはさらに厳しく出家の僧にならった八斎戒というものもあります。上記の戒の3がよこしまなものだけでなく性行為自体が禁止となり、さらに、午後に食事を取らない、音楽や舞を見聞きせず身を飾らない、寝具や座具を質素なものにするの三つが加わります。これは特別な日の戒なので、今回は五戒についてみていきましょう。
まず、殺さないです。これは自分が起こした事故で誰が死んでも殺した事にはなりません。普通に生きていれば十分にまもれる戒だと思われるかも知れませんが、実はこれが一番むずかしい話です。通常ではこの戒は、人間だけではなく虫や動物も殺してはいけない対象となっています。そうなると蚊や蝿やゴキブリも殺せなくなります。肉や魚を食べるのは自分が殺していなくても、自分で食材を購入した時点で対価を払って誰かに殺させた事になります。貰い物の肉でも誰かが自分の為に殺したものはダメで、余り物なら食して良いという決まりもありますが、その判断は難しいでしょう。では野菜や果物しか食べなければどうでしょうか?人間が栽培した作物が出来るまでは、畑を耕して地中の虫の一部は必然的に殺されますし、害虫だって駆除されます。一般的には植物は殺してはいけない対象に含まれませんが、そもそも植物も生きているのではないかという疑問もわきます。
次に盗まない事。これも簡単そうに見えますが、社会を行きていく中で誰かが持っている限られた数のポストや物を多くの人が狙えば、必然的に奪われる人が出ます。ルールに則って行われているとは言え、あまり極端に勝ちすぎた時に、そのせいで悲しんでいる人がいることも忘れてはなりません。
三つ目のよこしまな性行為をしないですが、これは簡単ですね。夫は妻と、妻は夫と以外に性行為をしてはいけません。別の人にフラッと気持ちが揺れても行為に至らなければ一応はセーフ判定ですが、気持ちが揺れた時にこの戒を思い出すことで歯止めとなることでしょう。
四つめの嘘をつかない。これも難しい。ただし、相手を思いやって表現に工夫を施すのは嘘にはなりません。次のような例があります。(個人情報もあるので一部を改変した半分くらい実話を書きます。)ある日、認知症を患っていたご婦人が外来に来て嬉しそうに、昨晩ひさしぶりに娘が家に帰ってきて楽しかったと話されました。こちらは、そうですか良かったですねと相づちを打つのですが、付き添いの方がこっそり教えてくれたことには娘さんはだいぶん前に死んでしまっているのだそうです。もちろん、誰もそれを幻覚だ妄想だなどと訂正したりせずに良かったねと声をかけます。ご婦人の中では事実なのですから何も問題はありません。これは嘘では無いのです。ですが、どうしても嘘をつかざるを得ない局面も世の中にはあります。たとえば、悪党に追われている人を匿ったとして、悪党から行き先を尋ねられても正直に答えるのはいけません。戒をまもるのは難しいのです。
最後は、お酒を飲まないです。単に飲まなきゃよろしいのですが、日本の社会ではこれも中々に大変です。また、長年お酒を愛してきた人が死を間近にした時に、ちょっとくらい飲みたいと言えば飲ませてあげたいものです。この場合、戒は破りますが個人的には飲ませます、すみません。逆に、何らかの事情で飲みたくても飲めない状態になった場合は、自分は戒をまもっているんだと思って乗り切るのも手かも知れませんね。何にしても、飲酒は体にとって良い影響よりも悪影響の方が目立ちますので、飲まずに済むなら飲まないでおきましょう。
さてさて、こうして見てみると、意外と戒をまもるのは難しいです。また、これをビハーラ医療にどう活かせるでしょうか?考えてみましょう。
死ぬ前に、我々はみんな死ぬ前なのだから別に死ぬ直前でなくても良いですが、自分がこれまで生きてきた積み重ねを振り返ると、自分がいかに多くの命の犠牲の上に生きてきたかを痛感するでしょう。また、自分が生きてきた来たことでつらい思いをした人がいるのを思い出す事でしょう。よこしまな事はしなかったでしょうか?してない人は胸を張り、した人は反省して、伴侶のことを思いましょう。ついつい嘘をつくことは無かったでしょうか?今も嘘をつこうとしてないでしょうか?嘘をつかないよう注意しましょう。お酒にまつわるいい思い出も悪い思い出もあるでしょうが、こうして自分の人生を振り返られるものシラフだからです。数多くの戒を破ってきた自分を思い返すと、目の前の事ばかりにとらわれていると気づかなかった物が見えてきます。
つまり戒をまもる努力は必要ですが、そう努力することによって得られる視点がビハーラ的には大切なのだと思います。
それではまた、合掌。
さて、六波羅蜜を1回で全部説明するには長すぎますし、有名な話なのでご存じの方も多いでしょうから、ここでは持戒について説明した後、それをビハーラ医療にどう活かすかという視点から六波羅蜜を見ていきたいと思います。
六波羅蜜一つ目の布施は以前の記事「介護に役立つ仏教の言葉2」を見てもらうこととして、今回は二つ目の持戒の話をします。
持戒とは大乗仏教の禁止事項をまもることです。出家の僧には多くの戒がありますが、在家信者がまもるべき戒は一般的には次の五つになり五戒と呼ばれます。
1.殺さない
2.盗まない
3.よこしまな性行為をしない
4.嘘をつかない
5.お酒を飲まない
特別な斎日にはさらに厳しく出家の僧にならった八斎戒というものもあります。上記の戒の3がよこしまなものだけでなく性行為自体が禁止となり、さらに、午後に食事を取らない、音楽や舞を見聞きせず身を飾らない、寝具や座具を質素なものにするの三つが加わります。これは特別な日の戒なので、今回は五戒についてみていきましょう。
まず、殺さないです。これは自分が起こした事故で誰が死んでも殺した事にはなりません。普通に生きていれば十分にまもれる戒だと思われるかも知れませんが、実はこれが一番むずかしい話です。通常ではこの戒は、人間だけではなく虫や動物も殺してはいけない対象となっています。そうなると蚊や蝿やゴキブリも殺せなくなります。肉や魚を食べるのは自分が殺していなくても、自分で食材を購入した時点で対価を払って誰かに殺させた事になります。貰い物の肉でも誰かが自分の為に殺したものはダメで、余り物なら食して良いという決まりもありますが、その判断は難しいでしょう。では野菜や果物しか食べなければどうでしょうか?人間が栽培した作物が出来るまでは、畑を耕して地中の虫の一部は必然的に殺されますし、害虫だって駆除されます。一般的には植物は殺してはいけない対象に含まれませんが、そもそも植物も生きているのではないかという疑問もわきます。
次に盗まない事。これも簡単そうに見えますが、社会を行きていく中で誰かが持っている限られた数のポストや物を多くの人が狙えば、必然的に奪われる人が出ます。ルールに則って行われているとは言え、あまり極端に勝ちすぎた時に、そのせいで悲しんでいる人がいることも忘れてはなりません。
三つ目のよこしまな性行為をしないですが、これは簡単ですね。夫は妻と、妻は夫と以外に性行為をしてはいけません。別の人にフラッと気持ちが揺れても行為に至らなければ一応はセーフ判定ですが、気持ちが揺れた時にこの戒を思い出すことで歯止めとなることでしょう。
四つめの嘘をつかない。これも難しい。ただし、相手を思いやって表現に工夫を施すのは嘘にはなりません。次のような例があります。(個人情報もあるので一部を改変した半分くらい実話を書きます。)ある日、認知症を患っていたご婦人が外来に来て嬉しそうに、昨晩ひさしぶりに娘が家に帰ってきて楽しかったと話されました。こちらは、そうですか良かったですねと相づちを打つのですが、付き添いの方がこっそり教えてくれたことには娘さんはだいぶん前に死んでしまっているのだそうです。もちろん、誰もそれを幻覚だ妄想だなどと訂正したりせずに良かったねと声をかけます。ご婦人の中では事実なのですから何も問題はありません。これは嘘では無いのです。ですが、どうしても嘘をつかざるを得ない局面も世の中にはあります。たとえば、悪党に追われている人を匿ったとして、悪党から行き先を尋ねられても正直に答えるのはいけません。戒をまもるのは難しいのです。
最後は、お酒を飲まないです。単に飲まなきゃよろしいのですが、日本の社会ではこれも中々に大変です。また、長年お酒を愛してきた人が死を間近にした時に、ちょっとくらい飲みたいと言えば飲ませてあげたいものです。この場合、戒は破りますが個人的には飲ませます、すみません。逆に、何らかの事情で飲みたくても飲めない状態になった場合は、自分は戒をまもっているんだと思って乗り切るのも手かも知れませんね。何にしても、飲酒は体にとって良い影響よりも悪影響の方が目立ちますので、飲まずに済むなら飲まないでおきましょう。
さてさて、こうして見てみると、意外と戒をまもるのは難しいです。また、これをビハーラ医療にどう活かせるでしょうか?考えてみましょう。
死ぬ前に、我々はみんな死ぬ前なのだから別に死ぬ直前でなくても良いですが、自分がこれまで生きてきた積み重ねを振り返ると、自分がいかに多くの命の犠牲の上に生きてきたかを痛感するでしょう。また、自分が生きてきた来たことでつらい思いをした人がいるのを思い出す事でしょう。よこしまな事はしなかったでしょうか?してない人は胸を張り、した人は反省して、伴侶のことを思いましょう。ついつい嘘をつくことは無かったでしょうか?今も嘘をつこうとしてないでしょうか?嘘をつかないよう注意しましょう。お酒にまつわるいい思い出も悪い思い出もあるでしょうが、こうして自分の人生を振り返られるものシラフだからです。数多くの戒を破ってきた自分を思い返すと、目の前の事ばかりにとらわれていると気づかなかった物が見えてきます。
つまり戒をまもる努力は必要ですが、そう努力することによって得られる視点がビハーラ的には大切なのだと思います。
それではまた、合掌。
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