介護に役立つ仏教の言葉2

布施行

 今回の介護に役立つ仏教の言葉は布施です。お布施という言葉は日常的には法事などの対価としてお寺やお坊さんに払うお金のことを意味してますが、布施の本義からすると間違っています。ここでは仏教者の行としての本来の布施のことをお話して参ります。布施の精神を介護にもですが人生に役立ててみましょう。

 布施とは困っている人や尊敬すべき人など他の人に何かを施すことを言いますが、同時に自分の執着を捨て去るための行(修行)なのです。布施を行うにあたっては、布施を与える人と、受ける人と、布施される物の三つが清らかである必要があるとされます。これを三輪清浄と呼びます。

 清らかであるとはどういうことでしょうか?まず、布施を行う人が布施を施した人に対して、自分はこんな良い施しをしてやったのだからと見返りを求める心を起こしてしまっては清らかとは言えません。むしろ、布施を受けてくれてありがたいという気持ちをもってこそ布施だと言えるのです。

 布施を受ける側も清浄でなければなりません。例えばお坊さんが受け取ったお布施が少額だったからと言って、法事や葬儀で手を抜けばそれは清浄ではありません。ただ、このような扱いを受けたからといって布施をした施主が怒っては、布施は何かの対価ではなく執着を捨てる行なので、やはりこれも清浄ではありません。もちろん、今から強盗するから武器を布施するように言ってくるような人の犯罪を幇助してはいけません。

 布施される物も清浄でなくてはなりません。布施行を行うために物を盗んでくるような事はあってはなりません。また、布施される物は必ずしもお金や品物である必要もありません。温かいまなざし、和やかな笑顔、優しい言葉、体を動かしたお手伝いやお世話、慈悲の心を持った思いやり、席を譲る、安らげる場所を与える、これらのことは無財の七施と呼ばれる立派な布施なのです。

 こうした見返りを求めない布施が人から人へお互いにつながりあっていければ、貪りや怒りが人々から薄れていき世の中は良くなっていくことができます。

 さて、こうした布施の精神を介護の現場にいかすにはどうすれば良いでしょうか?必死に介護に務める家族や介護士でも、悲観的になった患者様から否定的な言葉を受け無力感にさいなまれたり、逆に怒ってしまう事もあるでしょう。そうした時に布施の精神を思い出してください、自分がこんなに頑張っているのにとか自分があんなに良くしてやったのにという、他人からの感謝を貪る心や、思い通りにならない他人に怒る心が強いと、患者様にとって何が良いのかを考えるのもままならなくなります。まずは怒りや貪りから離れ心を落ち着かせましょう。そうして純粋な思いやりから自然に生まれるやさしいまなざしや言葉も布施となるのです。心を落ち着けて布施の精神で介護をすれば、以前に書いたユマニチュードの話でもあったような効果が期待できます。

 ただ、ひとつ注意することがあります。介護福祉の業界では、所謂ブラック企業が大変多いのが実情です。違法な低賃金長時間労働を強いられることは布施行とは相容れません。しっかり、労基などに相談してください。

 それではまた、合掌。

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