仏教と女性差別

 現代でも仏教は女性差別的であるとの批判は時々ありますが、はたしてそうでしょうか?今回は、それについて考えてみましょう。

 確かに、お釈迦様の生きた時代でも、女性の出家者には男性の出家者よりも多くの規則が適応されていましたが、女性だからと言って悟りを開けぬとはみなされていませんでした。お釈迦様の死後は女性は成仏出来ないなどと言う差別的な考えが徐々に主流となっていきましたが、日本でも主流の大乗仏教はその考えを否定しています。

 聖徳太子のお話をした時に書いたように、日本の仏教伝来時に太子が解説した、すなわち重要視していたのは大乗仏教の経典である法華経、維摩経、勝鬘経であり、いずれも女性の成仏を説いています。法華経は仏法の理解に優れた龍の女性が男性に変じてみせると言うくだりがあり、変成男子と言われます。これは結局男にならねば成仏できぬのでは無いかとの批判もありますが、維摩経でも天女がお釈迦様のお弟子の舎利弗らを女性に変えて男女差別的なこだわりがおかしな事だと諭す場面があります。つまり、簡単に男女の性別を交換するようなこれらのお話は、女性差別と言うよりも、差別的思想への執着を批判したものと取れます。勝鬘経でも、このお経の主人公とも言うべき勝鬘という女性は、お釈迦様から将来に如来(仏)になることを予言されています。日本の仏教はその伝来の時点で女性差別は排されていたのです。

 一方、浄土教系仏教の聖典である無量寿経では、女性は死後に女性でなくなり成仏可能とする理屈をとっており、しばしば批判の対象となりますが、現代ではこれも変成男子の理屈として受容されている場合が多いです。基本的には前述の経典と同様に、大乗仏典が成立した際に優勢だった女性差別への反感から生まれた一種の方便と解釈できます。

 日本では、仏教伝来の頃、聖徳太子の時代の天皇陛下は有名な女帝である第三十三代天皇の推古天皇でしたし、既に女性差別が著しい社会では無かったものと思われます。飛鳥時代には他にも女帝が多く、大化の改新の際は第三十五代天皇は女帝の皇極天皇で、後に再度即位し第三十七代の斉明天皇となりましたし、第四十一代天皇は女流歌人としても有名で律令制度を完成させた持統天皇です。また平安時代の途中までは土地や建物を女性が相続する例も普通にあることでした。仏教伝来前の話でも日本の主神は女神の天照大神ですし、大和朝廷以前の邪馬台国も国を治めていたのは女王の卑弥呼でしたし、八幡神として崇められる応神天皇の母の神功皇后もまた神として崇められています。日本における女性差別は、後世に付け足されていった感すらあります。

 仏教が不当な差別をなくすのに役立つように祈っています。

 それではまた、合掌。

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