子供に与える情報
今日はこどもの日だ。端午の節句を起源とするこの祝日は、祝日法によると子供の人格を重んじ子供の幸福をはかるとともに母に感謝する日となっている。父は感謝されないようだが、本筋には関係ない瑣末な問題だ。
さて、子供の幸福を考えた時には、親が子に与える情報には配慮が必要だ。例えば、子供には分かりにくい話を要約もせずに説いて聞かせるのは、その内容がどんなに有益でも子供にとっては苦痛だろう。また、一般的に幼児は現実と空想の区別がつきにくいとされる。作り話だからと言ってあまりショッキングな内容を提示するのは心に傷を残しかねず良くない。この空想と現実の混同は5〜6歳ごろには改善するが、小学生までは多少は残るとも言われており、子供に与える情報にはある意味でのパターナリズム的制約が必要だろう。稀に子供にはどぎつすぎる本も目にするが、本屋さんや本を買い与える大人も油断せずに吟味してもらいたい。
子供の人権は大切だが自由勝手のわがまま放題をさせればいいというものではない。将来、人間らしく生活できる知恵や道徳を伝えるのは大人の義務だし、年齢に応じた社会性を持たせることは子供を守ることにもつながる。子供の頃から反社会的な教育を受ければ、その後の人生に大きな禍根を残す。例えば人種差別や女性差別を是とする教育を施すのは、児童虐待に等しい事だ。
だが、子供を守れという人々の言動を、多くの差別主義者は嫌う。子供をダシにした言論や思想の弾圧だと言うのだ。だがそうだろうか?子供の頃から残虐な情報に曝露し萎縮させる事こそ、子供の自由な言論や思想を阻害する。親やその他の大人が子供の人格を尊重しつつ、子供を様々な脅威から守る姿勢を見せなければ、その子は他者の人格を尊重せず他人をすぐ見捨てる大人になるだろう。子供は守って大いに結構だ。子供を矢面に立たせてこき使う方が論外だ。
全ての子供達が幸せでありますように。
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