泥舟

 社会的常識や価値観は比較的短い期間で変わっていく。その中で稀に数千年に渡り維持されている価値観がある。これらは伝統とか宗教とかと呼ばれるものだ。こうしたある意味で盤石な価値観に基づく言動は無難であり、社会の中で大船に乗ったような安心感がある。いくら社会の変遷が激しいとは言っても、明日から無条件な殺人が称賛されることも、窃盗や詐欺が推奨されることも無いだろう。

 なぜ人を殺したらいけないのかなどという問いに本気で悩む学者も存在しようが、現実として平時においてむやみに人を殺したらいけないという価値観を共有する社会が歴史的に生き残って来たのだから、今後も社会の圧により殺人を是とする価値観は排除され続ける可能性が高い。戦争では、その価値観が一旦棚上げにされるから有事なのだ。

 一方で歴史の浅い価値観は変化が激しい。数十年ほどの人間が生きている範囲の短期間でも昔の常識が現在では決して許されない悪となっている事例も多い。人気アニメの機動戦士ガンダムで、主人公のアムロ・レイが上官のブライト・ノアに殴られた時に、親にもぶたれたことがないとの発言をする場面があった。このアニメが放映された1970年代なら、指導や教育に暴力が使われるのは当然であり、殴られたくらいでグダグダいう男は情けない存在だったのだ。製作者の意図はともかく、当時の視聴者の多くは殴ったブライトさんの方にではなく殴られて泣き言をいうアムロの方に嫌悪感を覚えたことだろう。だが、今いわゆるファーストガンダムを見る若者は、アムロのあのシーンを戦時下の異常な状況として理解するに違いない。

 今の会社で上司が部下を殴って、殴られもせずに一人前になれるか!などと叱責すれば、首が飛ぶのは上司の方だ。ところが、日本の映画監督の中には昭和の価値観で、痴漢は挨拶、強姦はイタズラ、暴力は指導、過重労働は当たり前などという行動をしている人が今でもおり、批判されたら名誉毀損で逆提訴するという暴挙に及ぶ輩もいる。この狂った映画監督を擁護するミソジニストらも散見されるが、もう彼らの時代は終わったのを理解できていないようだ。更新されない価値観に基づく行動はまるで泥舟に乗っているかのようだ。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号