社会活動の成否と経済と政治

 世には多くの社会活動がある。それぞれ理想を目指して頑張っているのだろうが、その成否は残念ながら大体予測可能だ。

 成否の最大の要因は経済性だ。その活動によりどのような利益が社会にもたらされるのか?あるいは起きうる損失が防がれるのか?これが大事だ。少なくとも活動により損失の方が大きくなる場合はほぼ成功しない。

 暴力団追放が概ね上手く行ったのは、暴力団の活動による経済効果より、カタギの者から奪われることによる経済的な損失の方が多かった為だ。学園闘争が失敗したのは、日本に共産主義政権が樹立されたら経済的な損失が大きいと見込まれ、常識的な大人が協力しなかったからだ。

 一方で、経済的な損失が見込まれても、長期的に見て必要がある事は、政治の力で実施される場合もある。成果が出るかどうか分からない多くの研究への投資は、目先の利益だけでは語れない。そうした民間ではなし得ない事をするために公的機関は損失を被るのであり、その支出を増やさせようとする社会活動も多い。

 政治力が絡むと利益よりも理念が追求されがちとなる。だから、多くの社会活動家は政治の方に注力するのだが、利益はあがるならあがった方がいい。社会が豊かになれば皆ハッピーだ。正しい事はいかなる犠牲を払ってもやるという決意は良いのだが、正しいことだから皆の協力が得られるような方法を模索しようとする方が建設的だし成功率も高い。

 また政治力の利用はいうほど簡単ではない。確かに政治的工作で強権が発動されれば大概の無理は通る。だが、倫理的に問題があるが経済力もある組織が政界に工作するのも常套手段であり、政治力が悪用されることもしばしばだ。

 例えばユニクロは安価で良質の品物を社会に提供している会社だが、その企業活動がウイグル人の奴隷労働や、自社社員の不当な過重労働で支えられているのは明白だ。この状態を改善するには政治的圧力をもってするしかない。だが、ユニクロは政界にも強い影響力を持っており一筋縄ではいかない。パチンコ屋が明らかな違法行為を経済力を背景とした政治への介入で回避しているのと同じことだ。

 更に、偏った理念により政治が暴走した例もある。現在アメリカ南部の諸州を中心に成立が進んでいる絶対的中絶禁止法は、女性の命と人権を危険にさらしている。これを単に経済面で考えれば、多くの若年女性の命を危険にさらしており損失が大きいのだが、保守系活動家達の理念が政治力を発揮し経済的利益をねじ伏せた形となっている。故に反発も根強い。

 社会活動を成功させるならば、その理念を軸とした経済的政治的戦略をねる必要がある。政治家に陳情に行くときも、この理念に基づいた施策が社会に利益をもたらすのだとの説得力を持っていたほうが成功しやすい。

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