仏の慈悲は届いている

 大乗仏教の利他と慈悲の思想は、代々受け継がれており、昔から一切衆生を救おうとする僧侶が存在し続けている。だから、誰かが酷い絶望の淵に沈んでいても、その人を助けようとする意思はこの世界に存在している。

 仏教を宗教ではなく科学や哲学だと言う人もいるが、仏教は宗教だ。修行の果てに悟りを開いた仏が、人々を救うために慈悲をあまねく世界に届けているという確信は、論理ではなく信心に他ならない。だが仏の慈悲を信じられない人でも、仏の意志を継ぐ僧侶や在家は目に見えるはずだ。

光雲無礙如虚空
一切の有礙にさはりなし
光澤かふらぬものぞなき
難思議を帰命せよ

 親鸞聖人の浄土和讃にあるこの歌は阿弥陀如来の慈悲の光は何物にも妨げられず全ての生き物に届いていることを述べて、その計り知れない仏に帰依する事を勧めている。

 阿弥陀如来が気に入らなければ釈迦牟尼仏でも薬師如来でも近所のお寺の和尚さんでも結構だ。全ての生き物が安らかであるようにとの願いはこの世に存在する。物理的な助けは無くても、その想いがあることは間違いない。どんな惨めな状況の人間にも、どんな残虐な人間にでも、仏の慈悲は届いている。

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