嘘
例えば陰謀論を信じてしまってワクチンを打たせまいとする迷惑な人達は、嘘を信じてはいるが本人たちは嘘だとは思っておらず、人を助けようとして人を害している。当然、社会は彼らを野放しには出来ないが、彼らは社会の脅威であるから対処されるのであって、彼らが悪であるから排除されるのではない。彼らもまた嘘による被害者なのだ。
一方で、真偽の問題ではなく価値観の相違に関する問題では、ある人がどんな事を考えていてもそれは嘘ではない。だが、本当はそうは思っていないのに嘘をついて双方を煽り、人々を争わせて楽しむのは悪だ。仏教では妄語(嘘)、綺語(飾り立てた実のない言葉)、悪口、両舌(人を仲違いさせる言葉)が禁じられている。争いを煽って楽しむ人は、まず自分に嘘をついており、双方の意見を飾り立てて人々の高慢を招き、お互いの相手を煽る罵詈雑言を用い、争いを激化させる。同じ人がやっていると分かるように実行すれば頭がおかしい人にしか見えない。しかし、別人を装って、あるいは仲間を用いて社会の中の意見の違いに関して、話し合いではなく叩き合いに誘導したがる悪は残念ながら存在する。
どんなに意見が分かれることでも、話し合いさえできれば妥協点は見いだせる。例えば夫婦別姓を推進する人達と、家の制度を守りたい保守派の間でも、戸籍の制度を維持しつつ別性を名乗っても不自由しない制度の構築が模索されている。どちらかが滅ぶまで殴り合えばいいというものではない。
そして、話し合いにおいて、相手と意見が違っても嘘をつかない誠実さが交渉の第一歩となる。嘘はついちゃいかん。
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