沖縄本土復帰50周年

 実は私は沖縄の本土復帰から数年後に沖縄にしばらく住んでいたことがある。沖縄の方々には申し訳ないが当時はその治安の悪さに恐怖したのを覚えている。米軍の支配はロシアや中国の支配よりはマシだったとは言え、これが占領地の現実かと思った。だがまあ、アメリカの治安も大概なので、彼らからしたらそこまで悪くないと思っていた可能性はある。

 そんな沖縄の治安も年々回復している。たまに行くともはや昔住んでいた沖縄とは別の県かと思うほどだ。だが、例えば今回のコロナ禍におけるワクチン接種率の低さや行動抑制のゆるさを聞くと、ああ私がいたころの沖縄はまだあると思わせてくれる。良くも悪くも彼らは自由だ。

 政治的思想や心情は別として忘れてはいけないのは、沖縄県には日本政府との交渉で「独立」という強力なカードを持っているということだ。戦後から50年前まで本土復帰運動があったとはいえ、沖縄は半世紀前までは日本ではなかったのだ。事実、沖縄弁には日本人への蔑称であるナイチャー(内地の人)という言葉がある。ちなみに北海道民がいう内地の人とはニュアンスがまるで違うので注意されたい。ナイチャーは明らかな侮蔑語であり、使われたら身構えるようにお勧めする。

 沖縄が独立して中国の半植民地となれば東アジアにおける米軍の優位性は大きく揺らぐことになる。日本の安全保障へも致命的な影響を与える。よって、交渉の場において独立を匂わせることは沖縄県がなし得る日本政府への最大の脅迫である。だがもちろん、沖縄が中国に支配されれば米軍統治下より酷い状況が招来されるのは間違いなく、また匂わすだけでなく実際に独立運動を開始すれば内乱罪の適応となるだろうから現実的ではない。

 しかし、プーチンの戦争であったように、頭がアレな独裁者がいる独裁国なら他国の地域の独立を支援するとの名目で侵略戦争をおこしうる。日本からの独立を希望する大中華民族の一員である琉球民族が人民解放軍に救助を求めているとして習近平が特殊軍事作戦を命令する可能性はゼロではない。目下その可能性がゼロに近いのは米軍基地が沖縄にあるからであって、習近平が親切だからではない。

 大戦末期の沖縄戦では多大な犠牲を払って米軍の本土侵攻を防ぐ要因の一つとなった。心情的に沖縄県には感謝しかなく、大量の公的補助は当然であると考える。また、地政学的も沖縄は戦略的要衝であり、沖縄は日本に安全を売っているとも考えられる。沖縄への支援にガタガタ文句を言う人もいるが安全はタダではない。可能な限り出資すれば良いのだ。

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