社会活動の目標は成就しないが努力は続けなければならない
社会貢献を目的とする活動は、それぞれ何らかの理想像というものがある。だが、社会がかくあるようにと努力をしても、所詮は諸行無常であり理想の社会が達成される日は来ない。ならば、社会活動は無駄なのかというとそうでもない。世の中の酷さがこの程度で済んでいるのは、この世を良くしようとする人達が一定数いるからであって、人々が抵抗しなければあっという間に不正と暴力が支配する地獄に成り果てる。その意味において、武力と経済とをある程度コントロールしうる権力者が国民によって選ばれる民主主義制度が機能している国は比較的安全だ。しかし、それも国民の倫理観が崩れてしまえば同じことだ。
弱者から奪い取るのを是とする考えの人は意外と多い。実際には彼らの大半も奪われる側の人間にも関わらずだ。自分より立場の弱いものから奪えると思うからこその発想だが本当に得をするのはごく一部に過ぎない。貪りの心に目が曇れば自分が被害者であることも分から無いばかりか、非道なる加害者にもなってしまう。
社会的弱者からより苛烈に取り立てるために陰謀論も利用される。この世に悪をばら撒く弱者のふりをした恐ろしい勢力を倒せばこの世が良くなるという荒唐無稽な妄想を信じて、昔から多くの弱者達が差別・搾取されてきた。この構造は今でも変わらない。特にネット上では社会のマジョリティが弱者を圧倒的に強力な悪とみなして正義の戦いを挑むのだが、単なる弱い者いじめだ。
菩薩たらんとする者は、このような収奪を許してはならない。迎合して弱者叩きをするなどもっての外だ。社会は理想の状態にはできなくてもそれを目指す努力が続けられなければ維持できない。
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