アファーマティブ・アクション

 某ウヨク作家のマンガで表現の自由を規制する悪人が使う技の名前の一つが「アファーマティブ・アクション」だった。これは割と冗談ではない話で、彼らが言う「表現の自由」とは実は表現の自由ではなく強者による弱者の圧殺であることを物語っている。

 アファーマティブ・アクションとは何か?直訳すれば肯定的処置となるが、差別の解消を目指して被差別層に様々な便宜をはかることだ。例えば性別や人種などに対して社会の構造的な差別がある場合、被差別集団は十分な教育が受けられなかったり経済的に苦しい立場にある為に、社会において力を持てずに構造的差別が再生産され被差別集団は不当な弱者であり続けてしまう。こうした構造を覆すには機会が均等なだけでは元からの条件が悪い被差別層には不利であり平等とは言えない。だから、機会ではなく結果が平等になるようにするのがアファーマティブ・アクションだ。例えば黒人差別が根強いアメリカの大学入試においては、受験者が黒人であるだけで点数が加算され合格しやすいようになる。こうして社会で力をもつ黒人が増えれば構造的な差別は徐々に解消されていくことが期待される。アメリカでは現在でも黒人への差別は続いているが、アファーマティブ・アクションが始まった1960年代と比べると大きく改善している。構造的な差別が解消されてくれば、不利益を被る側の不満が強くなりアファーマティブ・アクションは緩和される社会的圧力が生じる。実際に、カリフォルニア州では黒人に対する受験での加点は終了している。

 これに対して日本では、女性の受験者を減点して差別を推進する医科大もあった。就職や昇進に関しても不透明な基準で女性が不利益を被る例も多い。まず機会が均等になるだけでも日本では進歩だと言えよう。こんな状況だ。冒頭のマンガでもあったが、日本では右派に限らずにアファーマティブ・アクションには否定的な人が多い。彼らがこれを否定する根拠の一つに、アファーマティブ・アクションを行うことは最良の結果につながらないというものがある。

 例えば、入試における女性差別では女性受験者の点数が減点されていた訳だが、女性だからといって減点するなという意見まではそこまで反対する人はいない。一部の差別主義者は女性の減点は当然であるとまで言っていたがまあ少数派だ。現在は女性に対する減点はほぼ解消され、令和3年度の医学部受験では男女の合格率は女性の方が高くなった。もちろんこれは男女別の合格率の話であり、合格者数自体は男性の方が多い。令和3年度の医学部合格率は男性13.51%、女性13.60%、合格者数は男性で8421人、女性で5880人だった。アファーマティブ・アクションの考えに従い男女別の合格者の人数を均等にしたとしたとすれば、実力だけなら合格していた男性の1270人は不合格となり、実力だけなら不合格だったはずの1270人の女性が合格することになる。試験の結果として優秀な順には合格しないので最良の結果ではないという考えだ。

 だが、そもそもアファーマティブ・アクションは短期的に最良の結果を得るのが目的ではなく、社会の構造的差別を解消するのが目的なのでこの批判は的外れだ。アファーマティブ・アクションの運用について議論したり、他に有効な構造的差別を解消する方法を提示したりするのはいいとして、差別の構造を守る目的で批判する人はもう差別主義者としか言いようがない。

 冒頭のマンガではウヨクが言うところの歪んだ「表現の自由」とアファーマティブ・アクションは対立している。だが、彼らが主張する無制限な自由の下では強いものがひたすら勝ち弱いものは搾取され声を上げられなくなる。そんなものが表現の自由であろうはずがない。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号