善意と悪意

 もし、恐ろしい流行病があって、それに対する特効薬が出来たとする。ところが、その特効薬は実は毒薬だと信じてしまった人が、皆に薬を飲まない様に勧めてその結果多くの人が死んだとしよう。その時、もし薬を飲まないように勧めた人がもし生き残っていれば自らの過ちを悔やむに違いない。これは善意による犯罪だ。

 もし、恐ろしい流行病があって、それに対する特効薬が出来たとする。この薬は毒だと嘘を言いふらせば、それを信じてしまった多くの人が病気に苦しみながら死ぬと理解した上で、他人の苦しみを楽しむ為に嘘を拡める人がいて、その目論見通り多くの人が死んだとする。その時、この嘘つきは大喜びで笑うに違いない。これは悪意による犯罪だ。

 結果は同じでも、物事の正誤が理解できなかっただけの人には救いがある。真に恐ろしいのは人が苦しむ様を嘲笑い場合によっては収益を得たくてわざと誤った情報を拡げようとする人だ。そして、もっと恐ろしいのは、そのような酷いことをした人が、前者なのか後者なのか見分けがつかない事だ。

 犯人の知能に問題があっても倫理性に問題があっても結果が同じならば、ともに社会の脅威だが、知的に障害がある人間を裁くのは果たして正しいだろうか?知的に問題があるとは言っても落ち着いて教えれば分かる程度の人が大半だ。しかし、そう考えると更に問題が生じる。教えても分からないレベルの人間なら、その無能さを理由に裁いていいのかということだ。また、倫理性の問題があっても是正可能だと考えるべきではある。結局のところ、性善説の元に更生を促すしかないし、人権に配慮した刑法ではそれが正しい。刑法に抵触するしないに関わらず罪を犯した人は更生させて社会に復帰させるべきなのだろう。

 こうした犯人への対応は政治的には正しいのだが問題もある。例えば、人権に配慮した日本の刑法では、幼女を襲うような異常者が何度子供を狙った性犯罪を犯しても社会復帰し小学校の教師を続けられるし、警戒のために犯人の個人情報を行政が地域住民に周知する努力もしない。これは本当に正しいことなのか?知識の不足による問題ならば質問によりその理解は測れるが、倫理的に反省し更生したかは自己申告であり他覚的に測ることは出来ない。犯罪者の人権を過剰に保護するのは、被害者の人権の蹂躙であり、社会にとっては恐怖だ。現在の目に余る医療詐欺の跋扈も含めて、やはり一線を超えてしまった者には相応のペナルティが必要では無いだろうか?

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