表現の不自由展と表現の自由戦士

 2016年、日本国内で異民族への憎悪犯罪を助長するデモなどがあまりにもひどすぎるので、いわゆるヘイトスピーチ規制法が制定された。しかし、驚くべきことにヘイトスピーチも表現の自由だなどという抗議がおきて、罰則の無い骨抜きの法律となってしまった。

 2019年、あいちトリエンナーレで「表現の不自由展・その後」が始まった時、その内容をみた世間はこの展示に猛批判を行った。この展示会はかつて展示を断られた芸術作品をあつめ、改めて展示する企画だった。こうした展示拒否が表現の自由に反するものだとして、表現の自由の大切さを世に問う為に開かれた展示会だ。しかし、その内容は日本国憲法でも日本の象徴と定められている天皇陛下(昭和天皇)の写真を焼き足蹴にする動画などであり、日本人に対するヘイトクライムと言っても過言ではない内容だった。市民からの猛烈な抗議を受けたこの展示会は期間を短縮して中止となった。先のヘイトスピーチ規制法は日本人へのヘイトクライムは対象外ではあるが、法が制定された理念からして展示会の中止は妥当だろう。

 元より日本では表現の自由は無制限では無い。侮辱や殺人は刑法でその表現の自由を規制されている。法と秩序と治安を守るために一定の規制は当然だ。
 
 しかし、無制限の表現の自由を求める表現の自由戦士とも呼ばれる過激派が世間に跋扈している。人種や民族や性別に対する差別はもちろん性的搾取や人命に関わるデマや誤情報も一切の規制を加えてはならないとして、それに反対する人達に攻撃や嫌がらせを続けるフーリガン達だ。どうやら、過激な表現の規制を訴えることは表現の自由には含まれないらしい。彼らは18世紀に活躍したフランスの哲学者ヴォルテールが言ったとも伝えられる「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉を金科玉条かの如く仰いでいるが、ヴォルテールはユダヤ人差別主義者でありこのセリフは昔から差別主義者が自分の説を封じられないために使う言い逃れに過ぎないのかも知れない。もっとも、この言葉自体ヴォルテールのものではないとする説も有力だ。

 この表現の自由戦士らが声高に表現の自由を叫ぶのは主にマンガやアニメでの性的表現に規制がかかろうとする時だ。これは実に明白であり、カルト宗教を告発するマンガがその宗教団体の圧力で潰された時に彼らはほとんど動いていない。圧倒的熱量差だ。そして、その性的表現が例えば女性を人間として扱わないようなものであっても、無制限に表現の自由はあると言う。特殊性癖の人が集まるクローズドの巨大イベントも多いのだからその中だけにしておけばいいのに、社会において自由に表現できないと気がすまないらしい。面白いことに(いや胸糞悪いことにだが)マンガでない実際の女性が強姦されたと被害を訴えると、日頃は表現の自由戦士として活動している人達の多くは、ハニートラップだとか被害者の性格が悪かったなどと言って加害者を擁護する。基本的に性的搾取が好きな人が多いのだろう。

 表現の自由戦士は特に組織を持っていない。ネット上などでエコーチェンバーを形成して個々人が活動する場合が大半だ。なお、彼らは彼ら自身が思っているほどこの社会のマジョリティではない。彼らは嫌がるだろうが世の趨勢は社会が倫理的に浄化されていく方向にある。その方が安全で過ごしやすいと思うのだがどうしたものだろう。

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