聖職者のセクハラ・パワハラ

 日本の映画界での組織的なセクハラ・パワハラに対する告発に続いており、文芸界からも告発が出てきた。さて、日本の宗教界でも怪しい新興宗教にとどまらず、昔からキリスト教や神道や仏教の聖職者がたびたびセクハラ・パワハラで告発されてきた。告発可能な環境にあったのは隠蔽体質の業界よりはマシかも知れないが、ずっと体質が改善されていない事も意味する。もっとも、仏教の戒の内容を考えればこうした問題は2500年前も変わらずあったのだろう。放置すればセクハラやパワハラにはしる人を押し留めようとしてきたのが宗教であったのだとも言える。

 そう考えると、長年の努力にも関わらず人類はセクハラ・パワハラを続けてきたことになる。しかし、その努力は無駄ではない。何もしなければ状況はもっと悪かったことだろう。実際に、セクハラとパワハラが完全には無くならなくても、近年の先進国では確実に少なくなっている。パワハラの極である奴隷制度や、セクハラの極である人身売買を伴う売春業が合法な地域は今や一部テロリストの支配する地域のみだ。先人の努力には感謝したい。

 だから、先人の努力を無駄にしないためにも不断の努力が必要なのだ。セクハラ・パワハラに対して宗教界をはじめ各業界は、加害者が仲間だからと庇い立てすること無く公正に裁かれるように努力すべきだ。ロクな証拠もなく冤罪だと決めつけ被害者を嘘つき呼ばわりする人間があとを絶たないが、まずはしっかり調査すべきだ。もし冤罪だと言うのであれば、なおのこと堂々と調査に協力すればいいだけだ。不当に搾取される弱者を助けるのは菩薩道にもかなう。

 セクハラ・パワハラを排除する流れが社会に起きている今、一気に社会を浄化し先人が果たしえなかった悲願を達成したいものだ。恐らく個別のセクハラやパワハラは無くならないだろうが、即時的にそれを取り締まる社会制度は構築可能だ。代々こうした社会の理不尽に挑んできた各宗教の聖職者こそ、率先して内部の膿を出し時代の先駆けとなって欲しい。

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