Aは批判するのにBを批判しないのはおかしいという文句

 Aは批判するのにBを批判しないのはおかしいという文句は、一見正しいように見えるがそうでもない場合が多い。

 例えば、ロシア軍の残虐行為を批判する人に対してウクライナ軍だって残虐行為をしているのになぜそちらは批判しないのか?ダブルスタンダードだなどとする親露派の意見はよく目にするが、実のところ、大半の日本人はウクライナ軍側が酷いこと(捕虜を見世物にする、著しくは処刑する)をしたときはちゃんとウクライナに文句を言っているので、そもそもの前提が間違っている。圧倒的にロシア軍の残虐行為が多く大規模であるからそちらに対する批判の方が目立つだけだ。

 また、風紀上問題がある図画を公に展示した時に集まる批判に対して、実際の性犯罪は批判せずに図画ばかりを批判するのは偏っているなどとも言われるが、世間的にみて実際の性犯罪の方が批判されているのは言うまでもない。こういう批判をしてくるのは概ね風紀上問題がある図画の作者やその愛好家であり、歪んでいるのは彼らの認知の方だ。性犯罪者に対する激しい批判により加害者は逮捕されたり社会的に活動できなくなることが多いので批判もそれで終わるが、図画の展示については意見の対立が長期化するので目立つというものあるだろう。だが、日頃は風紀を乱す図画に対して批判的である者が性犯罪をして反省もしない場合は、この批判は成り立つ。そんな時は犯罪者とその仲間に思い切り文句を言ってやるといい。しかし、この場合も多くの人は性犯罪者を批判しているのに、あたかも自分たち以外の大半の人が批判していないかのように一般論化するのはおかしい。

 他には、日本の人権問題はすぐ指摘するのに外国の人権問題は無視するという批判も、前提から事実でない場合が多い。確かに少数の思想的な偏りを持つ人々は、彼らが影響を受けている特定の海外勢力だけには決して文句を言わないので、そうした人達にはこの批判も正当だが、大半の日本人は外国の人権問題に関しても心を痛めている。身近な問題の方が話題に登りやすく具体性を帯びている傾向はあるが、そこはやむを得ない話だ。そんな批判をされても殆どの人には逆効果だろう。

 もし、Aは批判するのにBを批判しないのはおかしいという文句を言ってこられた場合は、少し我が身を振り返ってみて、それが言いがかりなら気にする必要は無い。

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