正義
最近では正義の評判がすこぶる悪い。単独の価値観以外を認めず他者にそれを強制する排他的な人や集団の事を正義と呼んで忌み嫌われる場合が多い。しかし、それは本当に正義なのだろうか?また正義は言われるほど不要で汚らわしいものなのだろうか?
否。少なくとも、法と秩序を守るという意味での正義は社会に必要だ。だから、特定の属性の人々に対するヘイトを振りかざし独自の価値観を絶対視して暴れるような人や集団は社会の敵であり正義ではなく悪だ。
では、法と秩序を守って公共哲学的に許容できないほどの異端を排撃する正義は、単独の価値観以外を認めず他者にそれを強制する排他的なものなのか?違う。そもそも、社会の法と秩序の中では他者に寛容な多様な価値観は自由に存在できる。排除されるのは極端で非寛容なものだけだ。もしこうした異端すら排除出来ないのなら、先述のようなヘイトクライム集団をも排除できずに、社会はならず者に支配されてしまう。
社会がならず者に支配されずに済んでいるのは、社会を構成する国民の多くが正義の心をもっており、民主的手段により権力者が選べるからだ。選挙制度が脆弱か事実上存在しないような国はだいたいとんでもない人間が支配する独裁国になってしまう。
だから社会全体に正義なんてつまらない、何でもかんでも自由だとする混沌めいた思想が広がれば、やがてとんでもないことになる恐れがある。
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