ウィル・スミスのビンタ

 アカデミー賞の授賞式でプレゼンターから妻を侮辱されたウィル・スミスが相手を平手で殴った事件が話題になっている。同情的な意見も散見されるが、世論は総じて暴力の行使に対しては批判的だ。

 ウィル・スミスは怒りに任せて相手を殴ったのだから、仏教的な解釈では忍辱の心が足りなかったのだと言える。ウィル・スミスは仏教徒ではないだろうから忍辱を守る宗教的義務は無いが、一般論として怒りを抑える技術は大切であり、やはり今回の事は褒められたものではないだろう。ところで、今回の彼の怒りの正体はなんだろうか?

 実は、このプレゼンターが侮辱的な発言をした時、会場の多くの人は笑っていた。当のウィル・スミスも笑っていたように見える。妻は明らかに困惑した顔をしていた。ウィル・スミスの怒りは妻を馬鹿にされた事に対する直接的な怒りばかりではなく、それを笑ってしまった自分への憤りも相当分に含まれていたのでは無いだろうか?こうした経過から、そもそもの侮辱的発言は問題だけど、それを理由にウィル・スミスの暴力行為を肯定するには弱いと考えるのが多数派のようだ。

 さて、世界的にはウィル・スミスに責任があるという世論が優勢であるように見えるが、実は日本ではそうでもなく、むしろ擁護意見の方が多いように感じる。家の名誉を守るという思想が現代にも息づいているからだろうか?江戸時代の鍋島藩の武家の心得を説いた「葉隠」では勝算や社会状況などを一切無視した即時的報復が是とされている。「葉隠」冒頭の「武士道とは死ぬこととみつけたり」とは、生き残りたいが為に、自分が死にそうな義務を放棄するのを戒める言葉だ。武士は当時の相互確証破壊のための装置だといえる。そこにあるのは怒りよりも報復の義務だ。こうした思想だと、ウィル・スミスは怒りに任せて暴力を振るったという印象よりも、家族の名誉を守るために義務を果たしたのだという印象が強くなる。

 人はその根底となる考え方で随分とものの見方が変わる。まあなんにしても暴力は良くない。ウィル・スミスも反省のコメントを出していたし、穏便に解決するように祈る。

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