戦争と日本仏教

 日蓮宗や浄土真宗が有名だが先の大戦で日本の仏教諸宗派はその教義や教学に変更を加えてまで戦争遂行に協力した。戦後はその反省に立ち日本仏教の伝統宗派は一貫して戦争反対の立場をとるようになった。今回のロシアによるウクライナ侵略においても、殆どの伝統宗派は戦争反対の意志を表明している。

 だが、それでも少し気になる事がある。今回のロシアの侵略ほど責任の所在がはっきりしている事はそうそうない。それにも関わらず、いわゆるどっちもどっち論を用い、ロシアの侵略を容認するかのような発言をする仏教者も散見される。開戦前はさらに酷く、ロシアの軍事的恫喝をまるで正義の義挙であるかのように言う者までいた。

 侵略に抵抗するのもまた戦争行為で良くないなどと言う仏教者は、石山合戦や護法一揆で戦った先人をどう思っているのだろうか?侵略や理不尽な暴力に晒された時に、弱者を守らずただ悪人の好き放題に虐殺と略奪をさせることのどこに善があると言えるのか?そんな無作為は単に侵略者を手助けしているだけではないのか?侵略者を防ぎ弱者を守る為に戦って死んだ兵士に、お前は戦争行為をした極悪人だなどと本気で言うつもりなのか?

 もちろん個々人のレベルでは侵略軍の兵士にも防衛側の兵士にも善い人も悪い人もいるだろう。だが、それがどうした?善人も悪人も救うのが宗教だろうが、ならば救ってみせろ。どうして、今まさに侵略が行われている時に侵略軍を支援する?そりゃあ侵略側にだってどんな妄想だろうがこじつけだろうが何かしら大義名分というものはある。それを聞いて侵略された側に譲歩を迫るのは、中立ではなく侵略の支援だ。もしあなたの家に押し入った強盗殺人犯に次々と家族が殺されていく中、突然したり顔で現れたお坊さんが「この強盗にだって言い分はあります。貧乏だったのです。警察を呼んだり抵抗したりしないでお金を分けてあげてください」とあなたに言ったらどう思う?その程度の想像力すらないのか?嘆かわしい。

 また、ロシア国民の中には経済制裁で死んでしまう人もいるから制裁するべきではないと言う意見もある。死ぬのはプーチンでは無く弱者だというものだ。確かに弱者から犠牲になるであろう。では経済制裁をせずにロシアが侵略を続ければより多くのウクライナ人が死ぬ事になるのは良いのか?という問いに彼らは何と答えるだろう。説得でと言うかも知れないが、外交交渉も説得もずっと続けている事であり、もうやっているが効果が無かったとしか言いようがない。経済制裁を行なってもすぐに戦争が終わるとまでは言えないが、制裁により確実にロシアの継戦能力は下がる。

 ちなみに国際法上の戦争は侵略した側が戦争をしているのであって、守っている側は自衛権を行使しているだけだ。守っている側も戦争をしているから悪いというのがそもそもおかしな話なのだ。何某戦争という名前がついた場合は交戦勢力として防衛側も名前があがるので、両者が戦争をしていると考えがちだが、これによってどっちもどっち論になるのであれば、言葉によって物事の本質が見えなくなっていると言えるだろう。この誤った言葉の解釈への執着によって侵略を容認するような宗派が日本に出現しないように祈るばかりだ。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号