進撃の巨人はジェンダーに配慮された作品か?

 マンガやアニメで有名な「進撃の巨人」をネタに今ネット上でフェミニストとオタクが戦っている。もちろん、フェミニストとオタクはほぼ通年性に戦っており、彼らが言い争っている事自体は珍しくもない。だが、今回かなり興味をひかれたのはとあるオタク側陣営の人の発言だった。日頃、彼らの争いで過激な意見や行動を起こすのはフェミニスト側の人が多いのだが、今回は違った。明らかに常識の斜め上を行っているオタクがいた。

 その発言に至るまでの経緯を簡単にまとめると、とあるフェミニストが「進撃の巨人」を評して、女性蔑視をほぼ感じずに読めるとし、その理由の一つとしてセクハラシーンが無いことをあげていた。これに対してオタク陣営からは、いやいや女性キャラが性的に酷い目に遭うシーンならあっただろうとのツッコミが殺到した。「進撃の巨人」では女性を含む弱者への差別を否定的に描いており、当該フェミニストの発言の意図としてはセクハラを許容するようなシーンが無かったと解釈出来るが、語義的にセクハラのシーンの有無だけを言っているとも解釈は可能だ。だから、後者の意味にとった人達から胸糞悪くなるようなシーンはあっただろうとツッコミが入ったところまでは理解出来る。しかし、このフェミニストの発言への批判の一つに以下の物があった。

「進撃の巨人はジェンダーに配慮し女性蔑視から脱してて素晴らしい!」 ヒストリアは本当の意味で「産む機械」扱いされて実際一人は子どもを産んだし、始祖ユミルも褒美と称して子を産む事を強制されたんですけどそれは良いんですかね…

 これは他のオタク達からの批判とは違う。「進撃の巨人」に酷いシーンはある。その有無を論じるのと、そのシーンが女性蔑視であると言うのとでは、論点がまるで違ってくる。圧倒的な権力をもつ王が女性に褒美として子を産ませるという場面は作中で酷いこととして描かれており、主人公のエレンはその悲劇の連鎖を破壊するためにより悲劇的な手段を取ることになる。このような非道を称賛も推奨もしていない。ところが、このオタクの人は、そういうシーンがあるから「進撃の巨人」は女性蔑視から脱してもいないしジェンダーにも配慮してないと言っていることになる。これは明らかにおかしい。

 この発言に多くの批判がつき、このオタクは次のような弁明をしているが、これが更におかしい。

なんか今日の朝から急激に伸びてるんだけど、一個気になったのが「作中で良くない事とされてるから良いんだよ」という意見。 だったら散々ぶっ叩かれてる所謂「ラッキースケベ」系の描写も大抵は作中で断罪されてるんだから良いって事にならんか?

や、「断罪」という言葉はちと言葉選びが悪かったかもだけどさ、大抵「悪いこと」とはされてるだろう?例えばのび太がしずちゃんの入浴シーンに突撃するのだって。 罪の重さに対する罰が不充分ってなら初代ユミルを孕ませた王なんて完全に勝ち逃げやぞ。


 かなり分かりにくい理屈だが翻訳すると「この酷いシーンが作中で批判されているから女性蔑視でないとするのならば、一般にフェミニストが批判しがちなマンガやアニメの痴漢や窃視のシーンも作品中で悪いこととして描かれているから批判するな」という所だろう。このオタクはラッキースケベも悪いこととして描かれているとは言うが「ドラえもん」で入浴中のしずかちゃんをのび太が意図せず見てしまうお約束のシーンで、のび太が受ける罰といえば、せいぜい風呂のお湯をかけられて「のび太さんのエッチー」と軽く非難される程度だ。悪とされていると言うのは少し無理があるのではないか?また、非道を為した王が罰されていないから勝ちとまで言い放っている。流石に倫理観がおかしすぎる。ただ、最も驚くべきことは、このオタクの発言に万単位の人達が賛同しているということだ。日本がヤバい。

 こうした「進撃の巨人」の作中描写がジェンダーに配慮された結果なのかどうかは作者しか知り得ないが、少なくとも女性差別を助長するために描かれた作品で無いことは確かだろう。

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