謝ったら負け?

 自らの罪を懺悔し謝罪してきた人に対して怒り許さ無いのは、大乗仏教の十重禁戒の瞋心不受悔戒(不瞋不受謝戒)に反する。この戒に反した者は菩薩の地位を失う重罪となる。

 日本は一応大乗系の仏教国であり、その信徒は菩薩たるべきなのだが、その自覚がある者はごく少数だ。謝罪を受け入れず怒り攻撃の手を緩めない事例は社会の至る所で見られる。

 特に最近では己の非を認めた相手に対し、そうれ奴は自分で悪だと認めたぞ徹底的に叩けとばかりにネットリンチや現実での嫌がらせがなされる例もしばしば見られる。叩く方は自分らが正義のつもりでやっているのだろうが、この袋叩きのせいで死んでしまう人まで出ており悲しいことだ。

 世間はそんな状態だ。謝ればどんな目にあわされるか分かった物じゃない。こうした恐怖から、決して謝ろうとしない風潮も生まれている。無理筋でも開き直れば一定の支持者は集まるが、謝った途端に孤立無援となり吊し上げられてしまう可能性が強いからだ。

 もちろん、謝罪とは口ばかりで自己正当化に終始し逆に他者を攻撃するような演説は謝罪では無い。また、しでかしたことの程度によっては菩薩は許しても世俗の刑法によって裁かれるだろう。

 だが、この世に過ちに犯さぬ人はいない。謝罪と許しはお互い様の精神で成り立っている。既に謝罪すべき人がいなくなっている場合、人は神仏に赦しを乞うのだ。謝ったら負けなどという発想は精神の貧困さの表れだ。

 

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