地下鉄サリン事件と仏教

 1995年3月20日は仏教系のカルト教団であるオウム真理教が東京の地下鉄で毒ガスサリンを用いたテロを起こした日です。犠牲となった皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、既に27年前となるこの事件、今の若者は狂信的なカルト教団による凶行として理解しているかと思いますが、実は一連の事件がオウムの仕業だと発覚する前までは実際に家族や友人が洗脳されて被害を受けた人やそれを助けようと活動する人達以外に、その異常性はあまり認知されていませんでした。一般人からは空中浮遊の芸をする面白い人達という認識でしたし、一部の仏教者や学者からは、オウム真理教の出家制度や厳しく修行に打ち込む姿勢をみてオウムは立派だと持ち上げ、日本古来の仏教を叩く材料としてもいました。

 小生は事件前に知人がオウム真理教に入信して大変な思いをしたこともありオウムに対しては初めから否定的でしたが、存外に人は騙されるものだと恐怖したことを覚えています。オウム真理教の教義は、仏教的にはありえないと否定されがちです。確かに仏教の共通項において殺人が是認されることなどありえないのですが、仏教はかなり幅が広い教えでオウム真理教がその教義のベースとした密教では、呪殺と称した殺人は歴史上しばしば行われてきました。近年でも左翼思想の仏僧が政敵を呪殺することを標榜して活動していたりもします。

 また、呪殺など殺人の許容だけでなくもっと深刻な問題があります。仏教の影響を受けた昭和のテロ組織である血盟団が唱えた一殺多生は、一人を殺すことで多くの人が救われるのならばその殺人は認められるべきだという思想です。オウム真理教で言う所のポアも、生かしておいても悪業を積むだけの人間をこれ以上の罪を犯す前に殺してやるのは慈悲であるとの思想であり、類似点が見られます。こうした考えは容易に大量殺人に繋がります。

 一殺多生はトロッコ問題のような部分はありますが、このような考えを元に殺人が行われる場合は、本当に一殺により多生が得られるかも分からない事が多いです。組織の都合により、殺人の被害者をありえない極悪人に仕立て上げている事がほとんどだからです。こうした発想はキリスト教圏にもあり、妊娠中絶を行う医師が未来に殺されるであろう胎児を救うとの名目で殺される事があります。そして、その一殺のターゲットは個人だけではなく、民族や国にも拡大して解釈されがちです。それが実行されるのが戦争です。そのような巨大な人数を殺して一殺ならぬ多死があるとき、それ以上の多生が得られる可能性はほぼありません。

 オウム真理教は確かに狂った団体でしたが、彼らが大量殺人を犯したロジックは、少し油断すると私達の心をも侵食する可能性があるのです。実際に仏教者でもこれに似た考えでロシアの侵略を許容する人がいましたが、恐らく言葉に騙されてウクライナの無辜の市民が虐殺されることになるとまで想像力が回らなかったのでしょう。本当に恐ろしい事です。言葉や理屈だけで人の命を考えている時は努めて、その影響を受ける人の顔を思い浮かべると良いでしょう。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号