降伏論

 プーチンの戦争が始まって以来、主に左派の論客が、ウクライナ人に抵抗をやめてロシアに降伏するように勧めるという現象が起きている。これは論客が親露派というだけでなく、とにかく戦争はいけないことだからやめようという発想でも言われている。後者の場合、ならばそれは侵略したロシア軍に言うべき話であるが、何故か彼らは侵略に抵抗する側にそう勧める。彼らがそう言う根拠は抵抗すればするほど犠牲者が増えるというものだ。これもおかしな話でロシア軍が侵略を進めれば進めるほど犠牲者は増えるのだからやはり武器を捨てよとの呼びかけ先はロシアであるべきだ。べき論で言ってもこうだが、左派論客には決定的に欠けている視点がある。

 視点を変えてなぜウクライナ国民が侵略に激しく抵抗するのか考えれば、日本の左派論客がどんなにおかしな事を言っているのか分かるだろう。ウクライナ人の頑強な抵抗は国民の大半が戦った方が降伏するよりマシだと信じているからだ。2008年、ジョージアがロシアの侵略に敗れた南オセチア紛争では略奪、市民の殺害、強姦等が多発していた。ロシアに占領されるというのは、そういうことだ。ウクライナの男達は、侵略に抵抗し勝つ事を第一の目標にしているだろうが、同時に時間を稼いで女性や子供や老人が避難するチャンスを作る為に命がけで戦っているのだ。

 この状況で果たして、ウクライナ国民の多くが降伏した方が戦うよりマシだと信じることはあるだろうか?ロシアのプロパガンダのように、実はプーチンは物凄い善人で降伏したら理想的な政治をしてくれるという戯言はもはや誰も信じまい。逆にプーチンがウクライナ人を絶滅させる勢いで大量破壊兵器を投入してNATOも助けてくれなければ、政治的には降伏せざるを得なくなる局面も生じるだろうが、市民の大半はロシアへの怒りを強くするだけだ。なお、言うまでも無いことだが、もしウクライナに核攻撃がなされても、非難されるべきはプーチンとロシア軍であり、核攻撃される前に降伏しなかったウクライナ人が悪いわけではない。左派論客は本気でウクライナ人を批判しそうで怖い。

 また、戦争ではなく外交交渉で問題を解決すべきとする左派論客もいるが、この場合の外交交渉は軍事と別物ではない。この外交、和平交渉は軍事的に有利な方が有利に進める。この外交でという左派論客は、人が死ぬよりウクライナがロシアの言い分を聞いて非武装中立化(結果的に傀儡政権化)した方がマシだと言う。なぜ侵略者の言うことを聞く必要がある?ロシア軍に不法占拠したウクライナ領土から撤退し賠償金を支払えというのが筋だろう。

 だが、和平交渉もロシアが大幅に譲歩するか、ロシアの継戦能力がなくなるかすれば、妥結するかも知れない。西側の各種制裁でロシアの方が先に音を上げる可能性もある。第一次世界大戦で軍としては負けていなかったドイツが敗れたように、ベトナム戦争で圧倒的に優勢なはずの米軍が敗れたように、戦争は軍だけが勝敗を決めるのではない。ウクライナにも勝算はある。少しでも勝ち目があるうちはそうそうウクライナが降伏することは無いだろう。

 そもそも、降伏するのも徹底抗戦するのも和平交渉で妥協するのもウクライナ国民が決める事だ。しかし、外国人によるウクライナの降伏を勧める意見が、徹底抗戦を勧めるものや和平交渉を勧めるものと決定的に違うのは、降伏勧告はロシアによる侵略を受け入れろと言っているのと同義な事だ。降伏せよと言うのは事実上、侵略者に加担している。ウクライナに降伏を勧める人達はそのことを思い出してほしい。

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