他者を助けてこそ大乗

 例えば目の前に大人から殴る蹴るの暴力を受けている子供がいたとする。放っておけば死ぬかも知れない。こういう状況に行き当たったら四の五の言わずに助けるか警察と救急に連絡するかやめるように諭すなどが人として正しい判断だ。

 目の前に大人から殴る蹴るの暴力を受けている子供がいたとしても、いやいや実はこの大人にも何か事情があるのかも知れないし、実はこの子は大悪人なのかも知れないから放っておくのが中立で冷静で知的な判断などと言う人間は本当は賢くない。愚かだ。さらには、この子の親が悪人だから仕方がないとか、この子は差別されるべき民族だから仕方ないとか、バカバカしいことを言う人までいる。

 百歩譲って仮にその子が不良で親が悪人で異民族であってもそれがどうした?それが理不尽に殺されそうになっている者を見捨てる理由になるか?慈悲の心はどこへ行った?方丈に籠もり俗世の苦しみを見てみぬふりをすることが仏道か?

 仏教の諸宗派は日頃から平和をと言っているのだから、戦争のような惨事がおきれば宗門として公式声明の一つくらいあってもいいのではないか?私は戦争に反対する。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号