兵戈無用

 大無量寿経に兵戈無用という文言があり、武器がいらないとか戦争が無いという意味でしばしば引用されます。この兵戈無用が大無量寿経に出てくるのは「佛所遊履 國邑丘聚 靡不蒙化 天下和順 日月淸明 風雨以時 災厲不起 國豐民安 兵戈無用」の部分で、仏が赴かれるところは人々が教化され平和が訪れるという感じの意味です。要は人々が思いやりの心を持てば武器や戦争は無用になるということになります。

 強力な武器と軍隊を持つ思いやりの心のない独裁者が暴れまわっている状況では、武器がなくなることはないのです。武器を無くし、戦争をなくそうというのであれば、これらの無慈悲な独裁者の心を変えなければなりません。

 兵戈無用の言葉が使われる時、往々にして暴力で思いのままに世界を動かそうとする人物は批判されず、その脅威に怯える善良な市民に対して彼らを守る武器や兵士を排除すれば良いなどという指摘がなされます。ですが、大無量寿経にあるように、兵戈無用の前提は「國邑丘聚 靡不蒙化」即ち全ての国や地域で人々が道理に沿った知恵に目覚めていることなのですから、兵戈無用をめざすのであれば、まずは暴力と貪欲と怒りに取り憑かれている人を感化せしめる事が重要であり、今から殺されそうになっている人に武装解除を要求することではないはずです。

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