性格診断の誤謬
世の中には様々な性格診断なるものがある。自動車の免許取得や更新時の運転適性検査などある程度の性格の傾向を指摘して実生活に役立てる目的のものもあるが、星占いや血液型などデタラメなものが大半を占める。
こうした性格診断にどの程度の妥当性があるのかは、それぞれの方法によって大きな差があるが、気をつけるべきは、これらの判定があくまでも検査した時点での個人の性格の傾向を指摘しているに過ぎないということだ。本来は診断と言うべきものではない。
誰かに対して、この人はこういう性格だと決めつけてしまうと実際のその人は見えなくなってしまう。日頃は社交的な人でも静かに過ごしたい時もあるだろうし、引きこもり状態の人でもハジけたい事だってあるだろう。諸行は無常だ。気分だって変動する。
しっかり修行している僧侶が頼もしく見えるのは、そうした性格のブレが小さく落ち着いているからでもあるが、彼らとて子供の頃はそれなりにワガママであったことだろう。自分の性格を何らかの類型にあてはめ変わらないと信じてしまうと、現実の欲求や変化と型の乖離から余計な悩みを抱えることになる。
あなたも私も誰でも、無数にいる人間のその性格をたかだか数種類の型にはめられてたまるものか。世界は偏見を捨てればいくらでも多様だ。
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