目つき

 だいぶん昔の話だが、とある病気で当科外来に通院していた患者様に別の病気を見つけ、その病気を扱う他科に紹介したのだが、治療の甲斐なくお亡くなりになった事があった。ちなにみ当科で診ていた病気と新たに見つかった病気との間には何の関係もない。そんな事があったある日、ご遺族が話があると言って来院された。わざわざ挨拶に来たのかと思って面談したところ、患者様が死んだのは当科疾患のせいであり医療ミスだと言って詰め寄られた。その件に関しては無関係であるとの説明をしてどうにか納得してもらえたのだが、そうすると次は小生の目つきが悪いとか態度が悪いとか言ってすごい勢いでお怒りになっていた。こればかりは主観の問題なので先方がそのように感じたのであれば如何ともし難い。もちろん当方はそのような目つきや態度で接したつもりは無いのだが、上司が小生の目つきや態度が悪くて申し訳ないと謝罪することでどうにか決着した。

 当時、上司が謝罪したことに小生はいたく不満だった。その場を取り繕うために小生を犠牲にしたのだと思ったのだが、当時の上司がいうには実際に小生の目つきは悪かったとのことだ。当時の小生は変な患者家族に言いがかりをつけられたと感じており内心なんだこの野郎と思っていたので目つきに出ていたのだろう。以来、なるべく目つきは良くしようと心がけている。しかし、意図的に表情を作ると「なんだニヤニヤしやがって」などと苦情を受けることもありなかなかに難しいものだ。

 仏教でいう和顔愛語も身と口の動きだけでなく意が込もっていないといけないのだろう。

 

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