菩薩のお約束

  菩薩が菩薩となる時に守ることを誓う決まり事に三聚浄戒というものがある。内容を簡単にいうと、悪いことをするな、善い事をしろ、人々を救え、の三つだ。大乗仏教では在家でも出家でも菩薩たるべしというコンセンサスがあるので、日本仏教自体にこの前提があると言っても過言ではない。

 さて、三聚浄戒の悪い事をするなとは戒を守ることを意味している。宗派や在家か出家かの立場によりどの戒を用いるのかには差があるが、一般の在家信者なら殺さず、盗まず、嘘をつかず、不倫をせず、お酒を飲まないが最小の要求となる。

 善い事をするとは行動と言葉と考えを正しくすることだ。例えば大乗仏教の修行である六波羅蜜を収めることもそれに当たる。六波羅蜜は、貪りの心を捨てて他者に施し、悪い事をせず、逆境にあっても怒ったりせず、努力を続け、座禅する時のように心を集中させ、これらを総合して知恵を得ることだ。この中には悪い事をしないと項目も、人を助ける項目も含まれているので、六波羅蜜の修行に励むことで三聚浄戒は守られる。六波羅蜜だけではなくあらゆる仏法の実践は善い事をしているということになる。善いということが単に悪い事をしないだけなら、極論すれば何もしないことで達成できる。三聚浄戒の一つとして敢えて善い事をするという項目を入れたのは、菩薩が人としての生活を送る上で行動や言葉遣いや冷静な考え方が大事である事を強調した結果であり、つまりは菩薩が修行者として何もせずに己のためだけに引きこもる事をよしとしていないことになる。

 人を救うのはどうか?無知で能力が無ければ人を救えない。だから悪を断ち善を行い知恵を養う必要がある。しかしどんなに努力しても人間が完全な知恵を持つことは無い。だから知恵が完全になるまで何もしない場合は誰も救えないことになってしまう。落とし穴に落ちそうになっている人がいたら、余計なことは考えずに助けるべきだ。人間は基本的に楽な事を望む、人助けせずに労力を使わずに済むのならと色々と言い訳を作る。自分の知恵は不完全だから人を助けられないとか、救う相手は悪人だから助けない方が世の為だとか、そんな事を言って困っている人を見捨ててしまいがちだ。もちろん、全てを救うのは無理であり能力に不相応な事をすればかえって他人の迷惑になることはある。だから出来る範囲で出来ることをすれば良いのだ。間違ってたらその都度ただせばいいだけだ。

 みんなが菩薩行に励めばきっと世の中は良くなる。

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