集
仏教の基本である四諦の一つである集諦は、この世の苦が煩悩を原因にして起きる事を示している。この場合の「集」は原因とかそういう感じの意味だ。原因や条件により結果が生まれ、それぞれの結果はまた他の原因や条件となる。世の中は因果や因縁の複雑な関係を織りなされて出来ている。
戒を守り悪いことをせず身を修め生活すると善い原因を作っていくこととなる。それが直接自分に対して良い結果を生まなくても、広く衆生の幸せを喜べる心を持てば良い結果となったと言えるだろう。そもそも、仏教的には原因が結果を生むのは必ずしも生きているうちに起きるとは考えられていない。自分の行為が原因となった事象のつらなりは自分の死後も残りどこかで何かの結果を生むのだろう。いわゆる業の継承による転生観が、一般的な人が思う転生と同じと言えるのか甚だ疑問ではあるが、視点を広げれば些末な差だ。
殺したり奪ったりするのは言うまでもなく悪いことだ。信じた人の命を危険に晒す誤情報を喧伝し他人を騙してお金を奪うのはもう最悪だ、最悪の原因は最悪の結果を生むだろう。
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