無情説法

 無情説法は禅の公案の一つで、草や木や石や瓦や壁などの物体も仏の教えを理解し説いているのかという問いかけです。先人たちは、その声が聞こえたり聞こえなかったり見ることができたりして、それぞれに答えを出してきました。

 北宋時代の有名な文人である蘇東坡もこの難問に挑み以下のような詩を残しています。

 渓声便是広長舌
 山色豈非清浄身
 夜来八万四千偈
 他日如何人挙似

 彼には無情の説法が聞こえたようです。

 無情の声が聞こえるか聞こえないかに関わらず、無情の存在も説法しているものと考えて向き合えば、物を粗末にしなくなるのでそれはそれで良いことです。そして、水鳥も樹林もことごとくみんな仏を念じ法を念じているのならば、人間にそれが出来ないこともないでしょう。日々精進して参りたいものです。

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