良いニュース
大体のニュースは悪い知らせだ。正直いって気が滅入る。だからといって、世の中の不都合に目をつぶり身近な楽しい事ばかりに目を向けていても事態は悪化するばかりだ。誰かが社会問題に無関心でも、他の人が対応すればどうにかなるが、社会問題に無関心な人ばかりの自治体では容易に衆愚政治が成立してしまう。
ゆえに悪いニュースを無視することは出来ない。だが悪いニュースばかりを見聞きしていると人間の心は荒む。人に夢や希望や笑いをもたらす良いニュースも、持続可能な社会活動には必要だ。しかし、人はついつい嫌な情報にばかり目が奪われがちで、良いニュースの中にも何かしら問題点を発見しようとする。
例えば、1月10日、アメリカのメリーランド大学で、遺伝子に修飾を加えたブタの心臓を人に移植する手術が行われた。このブタの心臓が無事に機能し続けるのかどうかは経過を見なければならないが、もしこの技術が確立されれば、世界中(主に中国)で臓器目当てに殺戮される無辜の市民も減るというものだ。慢性的に不足している移植臓器が安定供給されれば、病気に苦しむ多くの人も助かる。これは希望が持てるよいニュースだ。一方で、ブタの心臓を使うことに関して宗教的な禁忌や生理的な嫌悪感を持つ人も少なくは無いと思われ、どのように受益格差を小さくしていくべきかと問題もある。動物愛護過激派の攻撃も心配だ。
こう考えると良いニュースも一転して不安の種となる。しかし、逆に悪いニュースであっても、その情報を元に何かしらの対策をたてられると思えば良い側面もある。仏教者が分別にこだわるなというツッコミもそろそろ聞こえてきそうだが、この場合は俗諦の話であり一向に構わない。悪いことばかり考えずに、良いことにも目を向けて、悪を減らし善を増やすべきだ。そうして、より多くの人が苦しまず安楽に暮らすことが出来れば、それに勝る良いニュースはない。良いニュースがやってくるのを待たずに、自分たちの手で作り出すように心がけるのも菩薩行だと心得て、まずは職場や家庭でちょっと良い事をしてみるといい。自分で作り出した良いニュースに心もおちつくはずだ。
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