老い
人間誰しも健康でいたいものです。若くて持病も無い人間はあまり健康に気を使う傾向にはありませんが、これは健康であるのが当たり前だと感じているからです。年齢があがり老いてくると、目は見えにくくなり、体力も弱り、あちこち痛くなって、その他も多くの障害が出てきます。人は健康を失ってからしか、そのありがたみを実感できません。
老いは仕方のないことです。老いに抵抗する努力により健康寿命を伸ばすことは可能ですが、いつか必ず敗北します。それなのに何がなんでも人生最強の状態にしようと、現在の年齢や体力を無視したハードなトレーニングをすれば体を痛め、かえって体力を落とすこともあります。逆にどうせ老いるのだからと何もしなければあっという間に筋力が低下してしまいます。適切な強度の運動が効果的です。何事もちょうど良い加減というものがあるのです。成仏するまで中道の視点を目指したいものです。
診療現場では、病気の進行により余命幾許も無いと思われる人が「どうすれば元通りになりますか?」と聞いてくることがあります。どう答えるかは状況によりけりですが、少なくとも患者様自身は何かしら特別な努力すれば若い頃のように飛んだり跳ねたりできるようになると心のどこかで信じているか、そういう奇跡を願っているのです。残り少ない時間を実現しない夢を叶える努力に費やさせるよりは、現在の状態で出来ることを心残りの無いようにさせるのが良いと思いますが、最終的にどうするのかは患者様自身の意志によります。病状を説明して考えてもらう事になります。
老いと病と死に抵抗しようとするのは生物としては自然なことです。しかしながら、老いと病と死を覆そうと努力する人はしばしば詐欺に引っかかります。本人も見守る側も注意しなければなりません。老病死に苦しむ人に自分なら奇跡を起こせますと嘘をつき多額の金品を巻き上げていく詐欺師達の汚れた心がいつか浄化されるように祈ります。
また、家族が患者様にとにかく死ぬ気で頑張るように勧めることがあります。頑張ってどうにかなる状態の人ならばいいのですが、医学的に見て努力してもどうにもならない状態の人や、すでに十分に頑張っている人に、お前の状態が悪いのは努力が足りないからだと言うのはなんとも残酷なことです。家族としても元に戻って欲しいという気持ちで言っているのがなお辛いです。
必要以上に老け込む必要はないですが、老いを覆そうとしても詮無いことです。穏やかに受け入れていきましょう。若い人には、歳を取ると色々と出来なくなる事があるから、色々出来るうちに多くの経験を積むように伝えたいです。
コメント
コメントを投稿