知の暴力

 暴力は直接的物理的な物だけではない。圧倒的な知的格差はそれを利用した暴力を生む。例えば認知症の患者様や知的障害のある人は、しばしば詐欺の被害に遭う。また、介護者から虐待を受けても確知されにくい。暴行されても上手く周囲に伝えられないし、介護者に口封じされるからだ。また、外見は親切そうにしている介護者ならば、知的障害のある被害者が虐められていると第三者に訴えたところでなかなか信じてもらえない。知的弱者は健常者に収奪されがちだ。

 人間は残酷だが臆病でもある。知的弱者からは嬉々として収奪する人も、自分より圧倒的に賢い人間から騙され収奪されるのを恐れる。結果として自分の理解出来ない高度な話をする人を恐れるし、世界経済を動かす人を見ては自分が騙され収奪されているのだと妄想し憎悪する。

 だから社会全体の知的レベルを向上させれば、妄想や陰謀論に取り憑かれる人は減る。その場合、知識を詰め込むだけでなく考え方をしっかり学ばせるべきだ。無知は恐怖を生む。知識を信じているだけでは発展性がなく予期せぬ事態に対応できない。より多くの人に分かりやすい教育が必要だ。昨今の反知性主義の陰謀論者の多さは戦後日本教育の敗北と言える。今や立法や行政に関わる人間の中にも下らない妄想や陰謀論に取り憑かれた人が散見される体たらくだ。

 だが今日、陰謀論にハマっているのは概ね子供時代の教育制度が現在よりも歪んでいた中高年世代だから今の若い世代が大人になる頃には状況は改善するのかも知れない。とは言え現代の教育界にも問題は山積であり、引き続き改革はするべきだろう。

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