戦時中の浄土真宗教学

 昨日、懐中名号の話をした時に少し触れたが、戦時中の浄土真宗教学はかなり無茶苦茶だ。当時もかなりの数の浄土真宗団体が存在したので教学と括ってしまうのも乱暴かも知れないが、だいたいは阿弥陀如来と天皇陛下(国体としての日本)を同一視していた。阿弥陀如来としての権能まで勝手に期待された昭和天皇には同情を禁じえない。

 また、日本を浄土とみなす説まであった。この世は穢土という浄土教の基本理念、換言された一切皆苦を根底から覆している。日本が浄土だといっても人は毎日死んでいるぞというツッコミには、日本人は肉体が滅びれば神になるから誰も死んでないとかいう理屈でゴリ押ししている。

 さて、浄土真宗には特徴的な回向観がある。それによると回向には浄土に生まれようとする往相回向と、極楽浄土に生まれた仏が穢土に戻ってきて人々を教化する還相回向の二種類があるとされる。天皇陛下が阿弥陀如来で日本が極楽浄土で日本人が往相回向によって生まれた仏であるならば、その仏達は浄土日本の外の穢土に赴き人々を教化せねばならぬ。世界をあまねく浄土日本に組み込むのを是とする過激思想の完成だ。

 こうして出来た浄土真宗過激派は極めてファナティックだった。さすがは一向一揆の末裔とでもいうか手段とか政治とかそんな自力のはからいを一切かなぐり捨てた、成功も失敗も何も分別しない暴力的なまでの信に没入するのを良しとしている。どうしてここまで過激になったのかを考えてみよう。まず、漢土の仏教では仏法(真諦)と王法(俗諦)、即ち宗教的な真理と世俗の常識は別にして考えるという真俗二諦という思想がありそれが日本にも伝わった。日本の、特に浄土真宗では仏法と王法はお互いに助け合うものとして重視していた。しかし、現実に存在する天皇陛下を阿弥陀如来に、日本を極楽浄土と捉えたことにより、世俗と宗教的真理が一体化してしまった。だから、本当なら自力のはからいでどうにかすべき世俗の問題も全て国の命令という他力を信じてまかせてしまうことになったのだと思われる。

 真諦と俗諦は無駄に分裂していたのではなく、混ぜると危険だと先人は知っていたから分けていたのだろう。在家主義の大乗仏教では世俗から完全に離れるのは困難であり昔から似たような問題はあったはずだ。伝統には何らかの意味がある。目先の利益や雰囲気でやすやすと変更したら痛い目にあうものだ。

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