バッシング

 犯罪者が社会的なバッシングを受ける時、攻撃する側の動機は何だろうか?社会的正義の実現を目指すものかもしれないし、被害者に共感するものかもしれない。また、自分はそんなことをしないと周囲に示すためにわざと目立つように非難したり、叩いても構わない相手を叩くのが気持ちよかったりするのかもしれない。

 犯罪者だけではなく、何かしら目立った人間は叩かれる。それが例え善い事で目立った人でも売名とか偽善とかと言われて叩かれる。

 そればかりか事故や犯罪の被害者までも叩かれる事がある。被害に遭ったのはあれが悪かったからだとかこれが悪かったからだとか、酷いものでは死ねばよかったのにとかザマアミロとか散々に言われる。

 だから、もし自分や仲間が見ず知らずの人達から社会的に叩かれていても、実害が無ければ気にせずに、犯罪行為に及ぶ場合は粛々と法的対応をするのが良いだろう。何か問題が発生している時は、関係者からの苦情や報告をよく聞いて対応を検討するべきであり、外野からのバッシングに対応する時間も手間も勿体無い。

 技術の発展によりネット上の嫌がらせも高度化しているが、法と秩序は守られるべきであり私刑を野放しにしてはいけない。メタバースなどにも対応可能な法整備は今のうちからしっかり考えておくべきだろう。

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