閑居
遺教経に次の文言があります。
汝等比丘 若求寂静無為安楽 当離憒閙 独処閑居
(汝ら僧侶よ、もし煩悩を滅した静かで落ちつた安楽を求めるなら、喧騒を離れ一人で閑居せよ。)
この言葉の少し後には、世間で衆生を救おうとすれば、木に鳥がたかって枯れるように、あるいは泥沼にはまった象が溺れるようになるとも書かれています。
自利利他の菩薩行は大乗仏教の基本です。衆生を忌み嫌い山野に逃げ込むとはケシカランという人もいるかも知れませんが、菩薩行を修める仏教者自身が倒れたら元も子もありません。自分の健康を気遣うのも自利利他の心にかなうものです。閑居も修行ではありますが、人間関係のストレスに悩む時などはお坊さんでは無くても一人旅に出て静かに過ごすのもいいでしょう。
お釈迦様も6年の修業の後に一人菩提樹の下で悟りを開き法を説こうと決心されたのであり、イエス・キリストも40日間の荒野の誘惑が救世主としての活動につながり、ムハンマドもヒラー山で瞑想をしている時に天使ジブリールから啓示を受けたのです。皆ある意味で閑居して力を蓄えた後に人々を救ったのです。
彼らのような偉大な者では無い凡夫たる我々の菩薩行には限界があります。利他に疲れた時は少し休んで英気を養うのが良いのです。その中で見えてくるものもあるはずです。
日々あふれるデマに対して一つ一つ丁寧に対応されている色んな方面の専門家には、妄想にとりつかれた人からの攻撃もあります。人助けに尽力する専門家のストレスは大きく、その心身の健康が気がかりです。最近の例では、ドイツのザクセン州では反ワクチン活動家による首相の暗殺計画まであり、医師や政治家も攻撃されています。
そうだ閑居に行こう。
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