輪廻三道
仏教の前提として人は輪廻を繰り返しており、輪廻からの解脱を悟りと定義している訳ですが、その輪廻のあり方を示した考えに輪廻三道と呼ばれるものがあります。
三道の内訳は、人間の惑わす根源である煩悩を惑道、その煩悩により引き起こされる言動や考えを業道、業によって輪廻を繰り返すことを苦道としています。
このうち、怒りや貪りなどの煩悩から争いや罵りなどの行動が起きるという、惑道から業道までは理解しやすいですが、個人の行いである業がなぜに輪廻に結びつくのかは直感的にはわかりにくいところです。
この業と苦=輪廻は仏教の基本である縁起の考えによって結びつきます。昨今、流行っている親ガチャなる言葉にもありますように、人間は生まれた途端の個人の努力とは無関係な状態で、既に親の良し悪しにより生育環境に大きな差があります。縁起の考えに従えば結果には何かしらの原因があるはずですが、生まれたての赤ん坊が生まれた環境の原因となる何かをし得たとは思えません。こうした事を前世の業が相続された結果だと考えたのです。生まれたての状態のみでなく、個人の寿命や禍福も前世の業の影響だと考えられていました。
現在の東南アジアに根強い部派仏教もこの考えが基本にあります。部派仏教では出家していない在家信者は成仏の対象外なので、現世で善い業を積むことで来世でより成仏に近いポジションを狙おうとするのです。
日本を含む東アジア地域の大乗仏教は在家信者も成仏を目指していますが、善業を積んで来世につなぐという発想も併存してきました。しかし残念なことに、この業の考えを曲解し、現世で不幸な目にあった人は、前世での行いが悪かったから自分の業の結果を自分で得た「自業自得」であるして見捨てたり差別を助長する人もいました。全くけしからん話です。不幸な人を見捨てることこそ悪業なのは言うまでもありません。
輪廻三道をまとめると、人は煩悩に突き動かされた業によって解脱できずに輪廻して、煩悩→業→輪廻→煩悩→業→輪廻→煩悩・・・・を永遠に繰り返すと考えられています。この輪廻の大元は煩悩な訳です。煩悩を抑えて悪い業を積まずに生活するのは仏教者の基本となります。高度にストレスがかかる現代社会では煩悩も湧きやすいものです。用心して参りましょう。
どうしても煩悩を断ち難い時はとりあえず行動である業だけでも正しておけば、社会的な悪影響を最小限に留めることができます。輪廻を信じる信じないに関わらず、煩悩から起きた業とそれによる環境の悪化は間違いなくあります。古い宗教は長く変わらなかった生活の知恵の結実でもあります。試してみればきっと心の落ち着きにつながることでしょう。
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