伝統宗派の護持
都市部の寺院や観光化されている古刹は大丈夫だろうが、過疎化している地方ではここ数十年内にかなりの寺院が統廃合されるだろう。実際に多少名のある地方のお寺でもその建物や仏像がかなり傷んでいる例も見られる。既に補修する資金が無いのだ。
人が地方から大都市に出てそこで家庭を築けば、本人の存命中は故郷の墓参りもするだろうが、その子や孫の世代は墓にもお寺にも仏教にも縁遠くなってしまう可能性が高まる。つまり、地方のお寺が少なくなるだけではなく、仏教徒自体が人口の減少より早く減少する恐れもあることになる。
檀家が極端に減れば宗派の存続自体が危うくなる。問題はそれだけではなく、伝統宗派との縁が薄くなった人はカルトに狙われやすくなる。カルトだけでなく、上座部仏教も昨今はさかんに布教しており、その信者の一部は極めて攻撃的に日本の伝統宗派があたかも悪鬼羅刹であるかのように罵ってくる。こうしたカルト等の信徒が瞋恚にとらわれ祖国の伝統に対して悪口の限りを尽くす姿はなんとも哀れだ。また、仏教だけでなく宗教自体を前時代的悪習として排撃する左翼過激派思想なども伝統宗派との縁が薄くなっている人には浸透しやすい。日本の伝統宗派は日本の文化に長年かけて馴染んできた仏教でありなんとか護持していきたいところだ。
大都会に生活の拠点を移した人も故郷の宗派は都市部にもその寺院はあるので縁を持ち続けてほしい。地方の過疎化は深刻で、故郷に残った親族が皆死んでしまったり最悪の場合お寺自体が廃寺になることもあるだろう。だが、お墓は放棄せずに移設するか維持が困難なら合同墓にお骨を移すなどしてお参りする場所は残しておいてほしい。また、仏壇の無いご家庭が増えているのも、主には都市部への転居によるものだろう。故郷の実家には仏壇はあったはずだ。大都市に出た第一世代は子供の頃は仏壇がある家庭で育ったが、その子は仏壇の無い家庭で育っており、将来独立しても仏壇を住居におく可能性は低い。戦後、地方から上京し金の卵などと言われた世代はもう鬼籍に入る時代となっており、そういう家庭では既に3世代ほど仏壇を知らない生活が続いていることになる。仏壇を置くのがスペース的に難しければ、小さな仏像やお軸だけでもお祀りして聖徳太子以来の伝統を守っていきたい。お金が無ければ自分で紙に名号や題目を書いたり、仏画を描いたりをコピーしたものでもいい。仏壇の本義は仏を供養する祭壇なのだから、その機能として仏を象徴する物があれば最低限の要件を満たす。
もちろん墓や仏壇という形式だけでは仏教は伝わらないが、子供の頃から日々そういう物に触れていると教えにも興味がわくというものだし、墓や仏壇に手を合わせている時は悪いことは考えないし心も落ち着く。祈りは善いことをして悪いことをしないように心がける端緒になる。まずは形からというのは間違っていない。自分の家の伝統宗派に興味が湧けば、書籍などの宗派が配信する法話にも目が止まるだろうし、禅宗ならば座禅をしてみたくなるかも知れない。そういう人はやがて、完全に実践できないまでもなるべく菩薩のように行動しようと努力するだろう。そして、そういう人が増えれば世の中はきっと良くなると信じる。
歴史を見ても仏教は何度も存続の危機に打ち勝ってきた。きっと今回もどうにかなる。
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