ゾーニング

 特定の場所に特定の目的やルールを定めるゾーニングは、主に行政上の問題だ。例えば、大規模な工場の隙間に住宅地があるような構造は危険で非効率だし、学校の近所に性風俗店が出店すれば教育上の問題もある。こうした問題を棲み分けで避けるのがゾーニングの主たる理念だ。

 しかしながら、行政の注意が及ばないところにもこうした問題は発生しうる。先日、とある一般の商業施設においてイラストの展示会が開かれた。これ自体は問題は無いのだが、施設の会場外から見える形で展示されていた絵には、少女の乳首と局所が幅の狭いリボンで隠されているだけの扇情的な裸体像もあった。これを問題視した一般客の抗議の声を受けて、店側は外から展示物が見えないようにゾーニングを行った。

 これで、この問題は解決するはずだったのだが、事態は複雑化している。展示物のようなイラストの愛好家らが、これらイラストは芸術でありゾーニングは表現の自由の弾圧などといって騒ぎ出したのだ。

 展示イラストの内容は先述した物の他にも、貞操帯様の拘束衣をつけた少女が口でスカートの端を咥え股間をさらけ出すような絵すらもあった。このような展示物を問題視する人はいて当然で、会場の外部から見えないようにするのは妥当な処置だ。ゾーニングは混ぜたら衝突を起こすであろう人達を分離する知恵でもある。表現の自由とは別問題だ。

 この問題を拡大解釈して言論や思想弾圧の嚆矢だという輩もいるが、見当違いも甚だしい。ゾーニングは逆に多様性を担保するものだ。ある意味で街全体がゾーニングの内側にある秋葉原や日本橋などの一種の解放区での常識は、外側では通用しないのを自覚していないと今後も無用の衝突を招くだろう。

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